長すぎるブランク

2003年4月4日
春休み最後の平日だったので、ほんとはあれこれとやるべき
こともあったのだけど、結局何ができたわけでもない。
この土日が終れば新学期かー。

きのう、初めてアルバイト情報誌を買ってみた。
発売日に目に止まったもので。
へえ〜。いろんな仕事があるんだなぁ。
年齢制限付きもあるけど、大丈夫そうなのもまだまだある。
でもこれって、次は月曜発売なんだよね。
てことは、雑誌見たらすぐ応募しないと仕事はすぐ決まって
いるんだろうな。

近所のスーパーの募集の張り紙なんかもよく目にしていたけど、
時給の相場がいくらなのか、とか。
そういうのに、てんで疎かったので、まあ、勉強にはなった。

学生時代のバイト+会社員生活で、約10年間は外で働いたけど、
その後、それ以上の期間、報酬を得る労働をしてない。
これって、やっぱ長すぎ・・・そうは思ってはいるけど。

夫の稼ぎ一本でやりくりするのが大変っていうのは、昨日今日の
話じゃないので、もう慣れてはいる。
でもこの先ずっと・・・と思うと、やっぱ不安は不安。
このまま安穏としていると、経済的にも、社会的にも、ますます
「持たざる者」になってしまうだろう。
そう、それが何となく、モヤモヤと、嫌だ。
今の専業主婦生活も決して悪くはないんだけど。

子供をなるべく家にひとりにしないで済むような仕事。
夫も子供もそのままの生活のペースでいられるような仕事。
そういう仕事があるといいんだけど。
・・・いや、やっぱりそれもこれも自分次第だな。

なーんて考えてはみたものの・・・
来週、ガスメーターの交換とやらで、業者さんが来るそうだ。
「台所に入ります」というお知らせが来た。
やば!!まずはお掃除しなくちゃね。(汗)
こんなに時間のある身で、この程度の家事だったら、仕事になど
出たらどうなってしまうのだろう。
というのが、やっぱ最大の不安である。
ところで、この話、かなーり昔の話なので、自分でも、何日課長のお宅に
お世話になったのか思い出せなくて、当時の暦をここで調べてみた。

http://koyomi.vis.ne.jp/

カレンダーを見て、曜日を確認すると、ほぼこうだったなーということが
思い出せた。

その年の4月1日は、今年と同じ火曜日だった。
前住人が指定した引越し日は、6日の日曜。
荷物を運び込んだ日曜の晩まで課長宅に泊めてもらったので、6泊7日の
居候だった。


話は入社式当日の朝まで戻る。
教えられたとおり、代々木上原、表参道で乗り換えて、銀座線で神田に
向かった。
初めての通勤ラッシュ。話には聞いていたが、ここまでとは・・・!

会社に着くと、札幌採用で一緒の便で上京してきた仲間たちがいた。
みんな、ここ数日で、住居の方は落ち着き、新生活をスタートさせていた。
しかし私はまだこれからも居候・・・。
このスタートの遅れは、あとあと大きかった。
東京で採用された同期社員とも初めての対面。皆大人っぽくみえた。

ところで、私が入社した年は、男女雇用均等法が施行された年だった。
それでかどうか、いきなり新入社員代表の挨拶をするようにと仰せつかり、
非常にあたふたしたことを覚えている。
どういう状況でどういう挨拶をしたのかは忘却の彼方。
緊張の第一日目はあっという間に過ぎ、夜の宴会を迎えた。

そこでお決まりの自己紹介などがあったが、歓談中、「オマエ、俺の
(大学の)後輩だ。よろしく。」と、話し掛けてきた男性社員がいた。
それだけ言うと去って行った彼。それが、今の夫。
あとで知ったことだけど、夫も、菊名からのスタートだったらしい。
ま、夫と付き合うようになったのは、その1年以上あとのこと。
とりあえずは最初の出会いの日だった。

さて、会もお開きとなり、女性課長と連れ立って電車に乗った。
女性課長、Sさんのお宅は東横線の都立大学前。
閑静な住宅街の瀟洒なマンションだった。
「姉もまだ一人でね。最近、二人で買ったものなのよ。姉はまだ一緒に
暮らしていないけど」と教えられた。

部屋は、今から思うとこじんまりとした2DKだったが、菊名の仮のボロ
アパートやいとこの家に比べると、豪邸だった。

Sさんは、当時、多分40半ばだっただろうと思う。
洗練された素敵な女性だった。
穏やかで、気さくな人柄だったが、それでも、若い私と一緒だった間中、
ずっと色々と気を遣ってくれていた。
多分、普段は料理など余りしないと思われるような、慣れない手つきで、
夕食を作ってくれたり、「会社の周りは、お昼を買うような場所ないのよ」
と言いながら、形が不ぞろいのおにぎりを作ってくれたり。
すえひろ亭のステーキ肉や、博多めんたいこを惜しげもなく使ったパスタ
など、贅沢な材料で、おしいものを食べさせてもらった。

新入社員研修中は、先輩社員が代わる代わる講師をしていたが、私が
S課長宅の居候ということはすでにみんなに広まっており、色々な事を
聞かれた。S課長は、社内でもミステリアスな存在のようだった。
私はS課長との生活は快適だったので、「とても良くしてもらっています」
とだけ言っていた。

社会人になって、初めての土曜日。
Sさんはブランチのあと、都立大学周辺を案内してくれた。
少し歩くと自由が丘でもある、そのあたり。
明るいときに歩くのは初めてだったが、改めて、「いい所にいるんだなー」
と、居候の身でもうれしくなった。
歩いていける住宅街に、女性社員(既婚者)が住んでいた。
そこにSさんと遊びに行った。1歳くらいの赤ちゃんがいた。
一緒にサレジオ教会に行って、写真を撮った。
・・・お気楽居候生活の、楽しかった思い出。


次の日、いよいよ引越しの日。
Sさんも一緒に来てくれた。
仮アパートの荷物は、不動産屋がトラックで運んでくれた。
現地に着くと、まだ前住人の引越しは終っていなくて、Sさんもさすがに
「あらーっ遅いわねぇ!」と怒っていた。

とにかく、早く終らせたいので、前住人の関係者が荷物を運び出すのを
待たずに掃除を始めた。

しかし・・・。
仮アパートよりましなのは、広さと、共同トイレじゃないってことぐらい?
ここも、相当のボロだった。築何年だったのだろう。
木造で外階段が付いた「○○荘」という名前のアパートの2階・204号室。
前住人のあとに、プロの掃除会社が入ってきれいにしてくれるわけじゃない。
昔の引越しは、こんなものだったのだろうけど。
前住人は、男。知らない男のニオイも消えないうちに、自分の荷物を入れる。
今だったら絶対ありえないことだけど、当時の私は受け入れるしかなかった。
(後で、畳だけは全部取り替えてもらえた。)

部屋は縦長で、手前から玄関・台所(4.5畳)・和室(4.5畳)・和室(6畳)
となっていたが、引っ越した時点で付いていた照明は、トイレと風呂場と
台所の裸電球のみ。
翌日会社帰りに秋葉原で最初に調達したのは、部屋の照明だった。

部屋の内容は、まさに逆カルチャーショックの連続。
窓がサッシじゃなく木枠にガラスがはめ込まれたもので、
そのカギは、穴に鍵棒を差し込んでキコキコ回すようなものだった。
小さな流しは、ステンレスじゃなく、「鉄板」だった。
(流しが石だったという先輩もいたので、それよりはまし?)
トイレは和式だった。(水洗ですよ、もちろん)
風呂にはシャワーがなかった。
これが昭和60年代の東横線沿線、家賃4万5千円の現実だった。

屋根が瓦だったため、大きな地震のあと、瓦がズレて、その後の大雨の
とき、壁紙が剥がれるほどの雨漏りがしたこともあった。

こんなところでひとり暮らし・・・途方にくれるヒマもなく、私は出遅れた
新生活を取り戻すべく、がんばったのであった。

引っ越した翌々日には、どさんこにとっては未知の生物、「ゴキブリ」と
早くも対面するなど、本当に、次々といろんなことが起こったが、そこで
次の住居に引っ越すまでの1年半がんばったことが、その後の人生の
大きな自信となった。
人間、やればできる、と。

居候新入社員

2003年4月1日
新年度始まりの日と言われても、家にいるだけの私にはピン
と来ない。
今日は可燃も不燃もゴミ出しのない日だったので、図々しくも、
目覚ましを止めた後、またベッドにもぐりこんだ。

そういえば、会社勤めのころは、毎年この日は、夜、新入社員
を迎える会とかいって、普段散り散りの社員が一同に会する日
だった。

霞ヶ関ビルとか虎ノ門パストラルとか、そういう会場で、立食形式
のパーティーが常で、ステージ上の金屏風前に並ばされた新入
社員をさかなに、楽しく飲む日だった。
そして2次会以降は、気の合う職場仲間や、この日のために札幌
から出張してきた人たちと夜の東京に繰り出す。
そんな日だったなぁ。

自分が社会人として初めて迎えた4月1日の思い出も強烈だ。
その日は川崎のいとこの家から神田の会社への初出勤となった。
実は、会社が私に借りてくれた、東横線菊名のアパートに、まだ
前住人が住んでいて、私はそこに越せないまま入社の日を迎え
たのだ。
変な話なんだけど、その前住人が、直前になって、「4月の最初の
週末まで転居を待って欲しい」と言い、それを不動産屋が「いい」と
言い、またそれを、会社の総務担当までもが「いい」と言った。
私は入社4日前に東京に着いてから初めてそれを知らされた。
その晩だけ、銀座のホテルを取ってくれたが、翌日、菊名に会社
の人に伴われて行った時、恐るべき事実を知った。

その不動産屋は、「その間の家賃はいらないから(当然じゃ!)、
とりあえずここに住んで」と、同じく菊名にあるアパートに、私の
荷物を運び入れてしまっていた。
その期間の代わりのアパートを用意するとは聞いていたが、
そこは、それまで親元でぬくぬく暮らしていた私にとって、
とても住めるような物件ではなかった。
共同玄関。共同トイレ。住人は、男ばかり。そこの4畳半一間に
たとえ1週間でも、住めなかった。

私は、半分泣きながら、菊名の公衆電話から、川崎のいとこに
電話した。正確には、いとこじゃなく、いとこのお嫁さん。
年長のいとこの奥さんを、私は「ねえさん」と慕っていた。
いとこ一家はその2年ほど前から川崎に住んでいた。
私がそのとき頼れたのはその人たちしかいなかった。
「いいわよー、いらっしゃい。そこ、菊名?それじゃ、今から説明
するから気をつけていらっしゃいね。」

突然のことだったのに、いとこ夫婦は、快く私を引き受けてくれた。
しかし彼らは子供ふたりと4人で、札幌では考えられないような、
びっくりするほど狭い借家に住んでいた。
2階建てだが、居間にタンスを置かなければならないような間取り。
そんな中、子供部屋の2段ベッドの下段を私に与えてくれた。

私と一緒に菊名に行ってくれた女性社員は、総務課長だった。
彼女は、私とあの共同トイレを一緒に見て、事の重大さに気付いて
私のような女の子が住む場所ではないと思っていたようだ。
そして、「不動産屋さんにキッパリ断るべきだったわ」と、すごく
責任を感じている様子だった。
私が、あそこには住めないので、川崎のいとこの家に世話になる
ことにしたと伝えると、「これは全部私の責任。いとこの方に申し訳
ないから、本来のアパートが空くまで、私の所にいらっしゃい」
と言われてしまった。
その女性課長は、独身で、一人暮らしだから気兼ねはいらないから
と。最近広いマンションに移ったばかりで、部屋も空いているという。

私も、確かにいとこ夫婦の所は、気詰まりでもあった。
いとこは良い人なんだけど、気の荒い大工の棟梁で、何かというと
家族に当たり散らす人だった。いとこのイライラは、私のことも原因
だろうと、かなり気を遣っていたからだ。
そんなわけで、今度はその女性の上司に甘えることにした。
初出勤のその日の帰りから、女性上司の家に行くことになり、私は
大きなバッグを持って、殺人的な混み方の朝の小田急線に乗った。

そして、居候新入社員生活が始まった。
つづく。


★葵凛★さま。
お気に入り登録ありがとうございました。
こちらからもよろしくお願いします。
夫の母から、留守電が入っていた。
気がついたのは夜だったが、電話があったのは朝9時半。
今日は用事があり、朝9時には家にいなかった。

朝からなんだったのだろう・・・と思いながら電話したら、用件は
こういうことだった。

夫の従兄弟(横浜在住)が結婚するから、お祝いを送るようにと。

夫の10歳違いの弟は、○万包むと言っていた。と。

夫の妹にも、送るようにとちゃんと言っているからと。


・・・何かと思えばいきなりこれですよ。

遠くに住む従兄弟の結婚?
まあね、付き合いはないけど、仕方ないですね。これも親戚付き合い。
でもさ、聞きもしないのに、弟の金額を言ってきて、「だからそれ以上」
と言わんばかり。
なんで金額まで決められなくちゃならんの?
弟も妹も出すんだからって、それでいったい何を言いたいの?

もうね。あの人、こういうところがすっごい見栄っ張りなの。
その従兄弟って、義母の妹の息子なんだけど、自分の妹にまでこういう
見栄を張る。
そして、その見栄に私たちまで巻き込むから頭に来る。

だいたいねー。「どこどこにお祝いがいる」って、普通は前からわかっていて
準備しておくものでしょ。
気分で、急に入籍する。それが「結婚」と言われても、こっちは「はあ?」だ。
私達もそりゃ、頂きましたけど、きちんと手順を踏んで、面倒なことからも
逃げないで、ちゃんとした形で行った。
それは、もう今の時代にはそぐわないかもしれないけど、最近はなんか、
本人たちだけ楽してるってパターン、多くない?
式もお披露目も無しで、お祝いだけ従来どおりなんて、ずるくない?

なんてさ、こういう話のされ方って、こんなふうに素直にお祝いする気持ちも失せるんですよ。
なーんで、普通に、「結婚するんだって。何でもいいからお祝い送ってあげて」って言えないかな。
こっちだって、一応それで全てを察して動きますけどね。

「物入りで申し訳ないけど」って、何度か繰り返したのは、私の気持ちが
声に出てしまったからだろうか。
でも、申し訳ないって、命令してるじゃん。

しかもしかも、先方は共働きで不在のときが多いから、送る前にちゃんと
都合を聞くようにだと?
いかにも外面重視、気遣い満点の義母だ。

んなもん知るかーー!!!(怒)

声にならない声

2003年3月29日
BSの「チャンピオンシリーズファイナル」と、
TBSの「世界フィギア」を続けて見ていた。
フィギアスケートを見るのは大好き。
至福の時間・・・。

なんだけど。
うるさいのが約一名。
氷上の選手がバランス崩したら、「あっ」
ジャンプの後にぐらっときたら、「あーあ」
1回転ジャンプが抜けたら、「だめだーー」

って・・・頼むから、その「だめだー」っていうのやめて。
アナタが審査するわけじゃないでしょ。
アナタの見た目で、出来を判断しないでください。

もう、気が散って仕方ないんですけど。

素晴らしい演技を見ると、本当に感動する。
その数分間に、彼らの全ての努力がかかっている。
だから、ちょっとよろけたりしたぐらいでいちいち声を
挙げないで欲しいのだ。

でも、出るときは出るよね。
前回のオリンピックでクワンが転倒したときとか。
あの時、私はどんな声を挙げたんだっけな。
「ひえ」とか「ぎゃー」とか、声にならない声・・・。


ちなみに、今日のコンサドーレの試合見ながら出した声は
・・・書けません。(悔)

お気楽デー

2003年3月28日
スウェーデンの掃除機の会社からの電話は、今日もなかった。
いや・・・来ないでいてくれるのがそりゃ一番。
このままやり過ごせることを祈ろう。

今日は夫は飲み会で夕食はいらないと言われた。
今週2回目。
楽すぎる・・・。
そもそも、春休みに入ってから、朝夫を送り出した記憶が無い。
一応起きてはいるんだけど、ファンヒーターの温風の前で、丸くなって
うとうとしてる間に夫は出かけているらしい。
こんなヨメ、私ならかなわないな〜。

きのう、食料品の買い物は済ませていて、娘とふたり分、作ろうと
思えばなんでもできたんだけど、なんだかそれも億劫になり、
「何かおいしいもの食べに行かないー?」と娘に提案してみた。
「いや。行かない」
娘は外食を喜ばない、珍しい小学生。
特に好き嫌いが激しいわけではないけど、うちメシ派。
私の料理がおいしくて、ほかは口に合わない・・・と思っておくか。(笑)
でも、こういうときに、つまんないのよね〜。
「でも、なんか作りたくないなあ。」
「買って来れば?」
あ、そう。そうするかー。
私の料理以外食べたくないってわけではないのです。

暗くなり、風が強くなりはじめてからひとりで買い物に出かけた。
娘には、ケンタのチキンを買ってくると言ったが、その前に牛乳などを
買うためにスーパーに寄った。
そこでは牛乳とアイスコーヒーと朝のパンだけ買うつもりで寄ったのに、
ついついあれこれカゴに入れ、そして惣菜コーナーで足が止まった。
生寿司10カン30%OFF。
ネタが・・・好きなのばっかりだ。
チキンと合うとか合わないとか関係なし。
これ。これ食べたい!

空腹時にスーパーなんて行くものじゃない。
結局そのお寿司も含めて、大荷物になるほど買い込んでしまった・・・。

そして、ケンタに行き、ドライブスルーにてチキンとポテトのファミリー
パックを購入。
一応、夫の分も多めに買っておいた。ささやかな愛。

もちろん、私はビールもつけて、お手軽で超カロリーオーバーな夕食
となった。
ま、たまにはいいよね。

でもちょっとここのところ、ぐうたらが過ぎてることを反省。
なんて言いつつ、もう週末かー。
これから朝ナマ見ながら、またビールでも飲むか。
これで明日も寝坊ケテーイ。(笑)
夫の母から電話が来た。
先月家に来てもらってから、電話もしていなかった。
私にしては、ものすごいご無沙汰だったので、まずはそれを詫びた。
母は、「いいのよー元気だったの?」と、特に気にしていなかったようで、
私はとりあえず、ホっとした。

「今日ね、スウェーデンの掃除機の会社に来てもらってねぇ♪」
「はい。」
「カーペットのクリーニングと、フローリングのワックスがけを無料で
やってもらったのよ。」
「はあ。」
「きもちいわよとっても。」
「そうですか。」
「それでね、誰か紹介して欲しいって言われたから、お宅を教えたから。」
「は?」
「いえね、何か商品薦められたけど、私も買わなかったし。それでもね、
やってもらうと違うから。」
「はあ・・・」
「電話が来ると思うから。やってもらいなさい!ネ?」
「・・・。」

お義母さんたら・・・頼みますよ。
なんでそういう「無料で」と釣るような人、家に来させるんですか?
お義母さんは、だいたい、こういうのは嫌いな人だったはずなのに・・・。
で、紹介してくれたのは、100歩譲って仕方ないとしても、強い口調で
「やってもらいなさい!ネ?」とはどういうことでしょうか?
この前、そんなに家は汚なかったですか??
そうなんですね。そうとしか思えません・・・。

しかし。
そのお掃除してもらうのに、そうです。あたしゃ、事前に掃除が必要です。
フローリングのワックスを、どこまでしてくれるのか知らないけど、
物をどかせたり、色々あるじゃない。
なーんで、そんな忙しい思いをしなくちゃいけないわけ?
納得行かないわー、とっても。

カーペットのクリーニング?
うち、ムートンなんですけどね。
こないだ、万金出してクリーニングしてもらったばかりなんですけどねぇ。

そんなわけで、電話が鳴る度に身構えてしまう。
そして、やや経ってから、思いっきり無愛想に出てしまう。
そうしたら、全然違う相手で、「あ・・・・い・今よかったですか・・・?」なんて
余計な気を遣わせてしまった。
もう!
明日からまた電話が鳴る度に同じことになるじゃない。
でもなぁ。お義母さんが「やってもらいなさい」ということを、「いいです」
って言えない、弱い私・・・。
そんで、なんか売りつけられたりしたら、目も当てられないわ〜〜。
昨日の続き・・・。

番組プログラムを見てみたら、やったぜベイビー!
FOXにて、「アリーmyLove」の第1シーズンが始まるらしい。
放送は5月からか・・・。でもその前に特番があるのね。
NHKのアリーとはもうすぐお別れだから、これはうれしいぞ。

LaLaTVの「ビバヒル高校白書」第2シーズンもいよいよ4月から。
それに関連して、ブレンダとスティーブという顔合わせのインタビュー
記事が載っていた。
これは、同じくビバヒルファンの友達にも見せてあげなくちゃ。
ブレンダ役のシャナン・ドハーティーは嫌な女で、共演者と合わずに
役を降ろされた・・・なんて言われてたけど、改めて「高校白書」から
見ていると、ブレンダのキャラはなかなか魅力的だった。
アリーにしても、ビバヒルにしても、登場人物が魅力的なのは、断然
前半だよねぇ。

そして、CSN1ムービーチャンネルでは、プラピの「ザ・メキシカン」
が放送される。これ、見てなかったのよね。ラッキー。
あとは、メグ・ライアン特集?いいねぇ。

別契約のフジテレビ721では、久々に織田ちゃんドラマもやるし。
何度も見たし、ビデオにも撮ってるけど、やっぱりね。
「放送されてる」と思うと、そりゃ見ちゃうわ。

なんて今わくわくしてても、つい地上波のテレビ欄で、一日の流れ
を決めてしまうので、ちゃーんと忘れないでいようっと。

「ダラス」もまだやってたか。(笑)
ダラスは続くよ、どこまでも〜♪

春からの楽しみ

2003年3月25日
ここ数日で、すっかり春になった。
運転していても、知らず知らずのうちにスピードが出ている。

明日から娘は春休み。
娘の休みは私の休み。(笑)
朝寝坊しても、夫は勝手に行ってくれるし、朝のプレッシャーは
娘の休み中は感じなくていい。
でも、同時に閉塞感もある。
好きに出歩けないし、お昼も食べさせなきゃならないし。
それに、このパソコンも、自分のペースで使いづらいな。
でも、あっという間に新学期だから、ゆっくりしてようっと。

J−COM(ケーブルTV)の料金改訂だって?
ったく。追加チャンネルの分合わせたら・・・げ。
元を取るために、レンタル店に行くのはやめて、映画チャンネルで
我慢しておこうかな。新作は見れないけど。
ただねぇ、ケーブルTVは、CMが、我慢ならない。(笑)
前よりはかなりよくなったけど・・・。
大好きな海外ドラマを、またじっくり欠かさず見ることにしようか。
「ダラス」、どこまで見たっけ。まだやってる??

海外ドラマといえば、BS海外ドラマ、春から10時放送って。
うーむ。ERとスマスマがぶつかるって、困る。
今までの11時台ってのが、ほんと、ベストだったのに。
リアルタイムで見るのが主義だけど、これからは録画も必要になる。
じゃあ、ビデオも整理しておかないと。すぐ溜まっちゃって。

それじゃ、4月の番組プログラムでも見て、春からの楽しみを
見つけようかな・・・。
近所の居酒屋で、娘のクラスのお母さんたちと飲み会。
夫は私が出かける前に仕事を早くに切り上げて帰ってきてくれた。
すまそ。
今日はバンドの集まりはないので、何時まででもいいよと言われた。
ま、お金の続く限りね・・・。

でも、その近所の居酒屋は、住宅街に1軒ポツンとあるだけだから、
ハシゴしたくてもその先の行き場がない。
ほかにあまり不便は感じないけど、飲む場所が少なく、カラオケが
ないこの地域。幹事のたびに頭が痛い。
カラオケに流れることを考えると、遠出しなくちゃいけないのだ。
というか、めったにススキノに出ないなぁ。学校関係の集まりは。
幼稚園時代の方が、よっぽどススキノに行ったような気がする。

6時半から閉店の12時近くまで、5時間以上ぶっ通しでその店で
過した。
となりの部屋で、顔見知りの多数いる違うグループの宴会が入って
いたが、気がついたら誰もいなくなっていた。
今回は、クラスのいろんな人が来るというより、親しい一部の人の
集まりという色が濃く、それだけに、楽しいまま終った会だった。
飲み放題のコースでもないのに、ガンガン飲みまくり、会計の時は
ちょっと予算を超えていたけど、みんな共犯だからね。

私は最初は生ビールから行く。これってみんなそうかと思えば
そうでもないのよね。
最初から甘そうな飲み物で行く人もいる。私的にありえないけど。
ありえないと言えば、「お腹空いてるから」と、いきなりご飯ものの
注文する人もいる。
私はビールとごはんはダメだから(屋外のバーベキューとかなら、
そういうのありかもしれないけど)、空腹だろうと、つまみ系で行き、
最後にごはんものもあれば食べるって感じ。
ビールをジョッキで3杯くらい飲んだあとは、気分によって、相手に
よって、飲むものを変えるが、この時に、あまり冒険はしない。
モノによっては悪酔いするものも多いので。
良く飲むのは「モスコミュール」。いつでもどこでも。
ウオッカベースだっけ。結構気持ちよーくなれる。
もう何年も。そうだなー。働いていたときからのお気に入り。
今回もビールのあとはモスコミュールのみで通した。

若い頃は日本酒党で、随分飲んだ。
今はお正月に、実家に銘酒があるときに「飲みすぎた〜」って思いを
するぐらい。
日本酒飲み過ぎたあとの2日酔いってのも最悪だったな。
あの、喉の渇き・・・懐かしい。
会社の有志で「日本酒を飲む会」という親睦会があった。
日本酒好きな、偉い役付きの人達と、一部の若手社員(酒豪ぞろい)
というメンバーに、なぜか私も迎え入れられ、「特別な」席で、おいしい
お酒と肴をごちそうになった。
ちょっとやそっとの「私飲めるのよ」という女の子じゃなく、正真正銘
酒豪とタイ張れる飲んだくれだった。

てね。こんなとこで胸張っても。(笑)
今はすっかりふつーの人。
毎晩晩酌する人も、主婦友達には何人かいるが、私はそれはない。
一日の最後にパソコンに向かう生活に晩酌は向かない。
弱くなったのひと言。
お酒が入ったときの顔も、昔は全然シッカリしてたのに、今じゃすっかり
みっともなくなってしまった。

今日のような、女同士で近所でお手軽にっていうのも嫌いじゃないが、
たまに社会人・男の仕切るススキノでの飲み会に行くと、これがまた
ガラっと違って楽しい。
もう、そういう事自体が非日常だからだろうな〜。

家族で焼肉屋に行った時に飲む生ビールもおいしい。
ま、日常の中で、無難に飲むお酒がおいしいってことで・・・。

タイヤ交換

2003年3月21日
相変わらず雪はしつこく降るけれど、それでも道路の雪は
大分少なくなってきた。

ということで、タイヤ交換することに。
夫の休みは3連休中、今日だけ。

タイヤ交換と言っても、いきなり夏タイヤってわけではないです。
まだまだ、朝夕は凍るしね。
今のタイヤの前に使っていた、古いスタッドレスに替える。
そうすると、真冬用のスタッドレスが、剥き出しになった路面で
磨り減ることもない。
こんなふうに、1年でもスタッドレスタイヤの寿命を長引かせよう
と、庶民は涙ぐましい努力をしてるってわけです。

もちろん、交換も自分たちで。
私も手伝いますよ!
雪の降り始めも、こんなふうに、古いタイヤをまず履くので、うちは
交換の回数が2回多いです。
夫婦力を合わせる作業って、これくらいだから、まあ、今後も
できる限り続けて行こうかと。

古いタイヤのホイールはがっさいので、見た目はいまいち。
早く、夏タイヤ&ホイールにドレスアップできる日が来るといいな〜。


先生の涙

2003年3月20日
長い一日が終わり、私の足は筋肉痛。
午前の役選会議、例によってギリギリに家を出た私は、久々の
「マジ走り」。
またしつこく降った雪のせいで足場は悪いし、北風ピューピュー。
でも休むことなく走り続け、ギリギリセーフ。
筋肉痛は、絶対、このときのマジ走りのせいだ。

前もって今日の会議の内容を知っていたのは委員長以外は
私だけだったみたい。
委員長がケーキなどを用意してきたのを見て、「あら?これは?
もしかしたら活動費消化?ってことはおしまい?決まった?」と、
みんな声が上ずっている。

間もなく先生が現れ、「会長決まりました」宣言。
きのう、やっと、ということだった。
最終的には、校長・教頭と3人で説得に当たったそうだ。
そうでなければ、やっぱりだめさ。
まーいろいろあったけど、今年度中に決まって、めでたしでした。

学級代表の集まりである、役選委員。
当然、私のほかにも今日の保護者会に備えて準備がある人がいて、
慌しく解散となった。
打ち上げは、4月の総会で正式に役員を発表してからやるらしい。


ゆうべは、パソコンでの作成に時間かかっちゃったな。
「○○先生ありがとうございました。
××小学校×年×組 児童・学級PTA一同」
これに、きれいなイラストを添えて印刷するだけ。
しかし、この私ときたら、字体・色・イラスト・配置。
すべてに悩み、迷って、パソコンの前で動けないでいた。
おまけに出力する紙も、「お?こっちがキレイじゃん」みたいに
またいろいろ試すし。
万事この調子。ラッピングも、リボンも。
暇人?ていうか。まー、凝り始めるとキリが無いから困る。

最後に、自分から先生へのメッセージに、娘の写真を使おうと
印刷したら、黒のインク切れで、髪も目も白くなってしまった。
写真は印刷済みの手持ちのものを使ったが、その前の作業で
インク切れにならなくてよかった〜。

役選後、家に戻ってからも、まだやることが残っていて、
(きのうの日記に今夜のうちにやるって書いたのに)
昼食もゆっくり食べられなかった。


そして、最後の保護者会。
集まりもまずまずで、最後の先生の話に耳を傾けた。
前年度末、本来なら持ち上がりの学年だったのに、児童数の関係で、
学級減・クラスも解体になることがほぼ確定していて、理不尽な別れに
しんみりウルウルになりがちな保護者会だった。
それが、新年度が始まる直前に転入生があり、奇跡の大逆転で
めでたく、クラスも担任も持ち上がりになった。
今回も、ギリギリまで学級数のことはわからないが、とにかく担任の
先生とはお別れで、クラスも解体。
去年と違って、わかっていたことだし、しんみりしても仕方ないから、
明るくドライに行こうと思っていた。
ほかのお母さんたちも、先生のおやじギャグに付き合いよく笑っていた。

なのに、あれ?先生、たまに言葉に詰まる。
あれ?声が震えてる。
あれ?あれ?目に光るものが・・・。

それはわかるかわからないかの小さな変化だったけど、一番近くに
いた私にはわかってしまった。
ベテランすぎて、担任を持ってるのが不思議なほどのお年。
偉くなってないってことは、「何かあったから」なのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
確かな愛情で、子供達と接してくれた。いつも余裕があった。
お年の上に人相が悪くて、一部の女の子たちに敬遠されてたけど、
そういう子たちさえ、上手にまとめて指導していた。

若い先生が、受け持った子供達や保護者との別れに涙するって
いうのはわかるけど、こんなベテランの先生が・・・。
去年は先生は全然平気そうだったのに。
この1年で更に子供達との絆が強まっていたことは感じていた。
どんなベテランの先生でも、別れは辛いんだな。

先生につられちゃおうか?実際、私だってギリギリだった。
「北の国から」も、「ビューティフルライフ」も、「僕の生きる道」も、
側に誰かいる時は涙無しで見られるのに、母親になってから、子供の先生
や友達との別れには、人前でも滅法弱くなってしまっていた。
でも、まだ、「門出」じゃないし。
また学校で顔を合わせる先生やお母さんたちだし。
ということで、プレゼントを渡すタイミングを計ることに意識を集中して、
先生の涙に気付かないふりをしていた。

そして、最後の最後、力作のプレゼント、子供と保護者からのメッセージ集
をお渡しした。
先生は、ほんとうにうれしそうだった。
危なかったけど、がんばって、涙を引っ込めていた。

そんな先生の顔を見られて良かった。
これで私の役目も終わった。


素晴らしい出会いに感謝し、新しい出会いを心静かに待つことにしよう。

決まったらしい!

2003年3月19日
今日は、親友Y子と街ぶらデートに出かけた。
駅前で待ち合わせ、そのエリアを見て回り、昼食は、ごったがえす
ニュースポットをはずして、隣の駅ビルのレストラン街で取った。
雪の降り方が激しかったので、地下鉄で大通りに移動し、デパートを
見て回り、カフェより1ランク上のコーヒー店で美味いコーヒーを
飲んで別れた。
マンションという大きな買い物をしたばかりの彼女は財布の紐が固く
なっており、私も年中固いので(笑)、買い物はしなかったが、
目の保養と情報収集とおしゃべりで十分充実したデートだった。


帰ると間もなく、役選メンバーより、緊急連絡。
明日午前中に委員会を行うと言う。
困った・・・。明日は、午後から最後の保護者会があり、その前の時間
には、来年度の学校説明会がある日だった。
が、学校説明会はパスして、学年の学級代表の打ち上げランチをしよう
ということになっていたのだ。

この打ち上げランチ、実はあまり乗り気ではなかった。
保護者会の準備に大荷物もあるし、だいたい、進行役などで気の張る
ことの前に、予定を入れるのが億劫だった。
集まるメンバーも、申し訳ないが、大して楽しい人達ではない。
それに、私はきのう・今日とランチしていて、3連チャンになるし・・・。
でも、声をかけてくれた学年代表さんに悪くて、「行く」という返事を
してしまっていた。

でも、役選となると、申し訳ないが、断るしかない。
半分ラッキーという気持ちで、ランチの方は断りの電話を入れた。

役選の委員長に、個人的に電話すると、どうも、「PTA会長が決まった」
という報告が、先生の方からあるらしい。
そうか〜。決まったか・・・。ヨカッタ!
まあ、ランチを断るほどの内容でなかったのかもしれないが、これまで
散々振り回されてきた役選の最後の会議だから、出なきゃね。

そういうわけで、明日が、役選としても、学級代表としても、最後のお努め。
役選は来年度の総会まで、ほとんど仕事は無い。
学級代表も、学校で何かするというのはもうおしまい。
最後の飲み会の幹事を残すのみとなった。(←結局幹事です・涙)


きのう、クラスのママ友と、先生へのプレゼント(子供たちのメッセージ
カード集)の仕上げの作業をやった。
100均のファイルに、何倍もの値段の和紙でカバーをし、きれいに仕上がった。
あとは、大量に買い込んだお菓子を、人数分袋詰めし、メッセージ集に
つけるネームをパソコンで作るだけ。
おっと、娘には書かせたが、先生への私からのメッセージがまだだった。
当日でも間に合いそうだと思っていたことも、今夜のうちにやっておかなければ・・・。

そうそう、飲み会をやる居酒屋へも電話しなきゃ。(汗)


なんかバタバタだけど、終れば3連休。
借りたまま見てないDVDを楽しみにがんばろう。

まただ〜(号泣)

2003年3月18日
消えた・・・・!
じゃない、間違って消したのよね。
バカかとアホかと。

秘密のみ、消えずに残りました。


それぞれの新居

2003年3月17日
土曜日、兄の新居が完成し、引越しがあった。
手伝いに行っていた母から、今日色々と話を聞いた。

おめでとう、お兄ちゃん。
ついに、一国一城の主だね!
ここから遠いのが、残念だけど。

兄は公務員で、新卒後、地方を何箇所か回り、いつか札幌に戻る日まで
家を持つことを待っていたようだが、子供たちも大きくなり、公宅暮らし
ももう限界になって、今の赴任先に家を持つことを決めた。

昨年夏、私も更地の土地を見に行った。
もうそこに、甥っ子や姪っ子が暮らしているなんて。

東京のリフォーム会社に勤める弟をわざわざ呼んで、設計に参加させていた。
その甲斐あって、使いやすい設備が盛りだくさんらしい。

落ち着いたら遊びに行こう。
しばらくは、なかなかこっちに遊びにはこないだろうね。
いいよね、新しい家。幸せ一杯なんだろうな。


親友Y子のところも週末が引越しだった。
市内を見下ろす、タワーマンション。
「お金持ちの法人に借りてもらうつもり」で買ったのに、予定外の転勤で
自分達が住むことになってしまい、彼女らにしてみれば、大誤算だそうだ。
こちらに赴任してからそのマンションが完成するまでの間、仮住まいを
していたマンションからの引越しだった。
彼らは、市内にもう1件マンションを持ち、家賃収入を得ている。
そちらのローンは既に完済しているという、あっぱれな暮らしぶり。

引越しを終えた感想を聞くと「自分達が住むつもりでいなかったので、
あちこち不満だらけ」だという。
でも、中間階でも、うちのマンションの最上階よりも高い。
景色は最高だろう。あそこに友人が住み、遊びに行くチャンスがあると思う
だけで、庶民な私はワクワクしてしまう。

今週、彼女とまた街ぶらデートの予定だったが、改めて確認すると、
「もちろん、行く行く!」と、全然引越しにはめげていないようだった。
さすがだな〜。とにかく、仕事が早い彼女。
もともと、シンプルを心がけ、常にすっきり暮らしていたので、私なんかの
引越しとは違うのだろう。
私なんて、1、2週間は疲れを引きずってしまいそうだ。


兄貴と親友。
引越しお疲れ様。手伝わなくてごめんね〜。(笑)
これからの新生活、幸多いことを祈ってます。
家族円満で、みんな健康で、笑顔の絶えない暮らしでありますように。

早く招待してね♪
きのうレンタルしてきた、洋楽オムニバスCDの中に、
ギルバート・オサリバンの「TOMORROW TODAY」
という曲があった。

92年、この曲が使われたドラマに影響され、舞台となった信州まで旅行
したことがあった。
その車中のラジオでこの曲が流れ、美しい山々を見ながらひたすら感動
したことを覚えている。

ゴールデンウィークの始めの頃だったと思う。
雪の残った安曇野の山々は本当に、本当に美しかった。
ギルバート・オサリバンの高音が、この時の青い空と澄んだ空気を
思い出させてくれた。

久しぶりに都会を離れ、身も心も解き放たれた、そんな旅だった。
山のふもとの人々の営みに、北海道にはない、歴史や文化を感じ、
見るものすべてが新鮮だった。
北海道の自然もいいけれど、この時に見た自然は、いかにも日本的で、
その時の私は、ドラマの舞台というだけではない、強い憧れを感じた。

夫はこの曲とその旅行がそんなふうにリンクしていたことなど、全然
覚えていない様子だった。
ふたりきりで、行き当たりばったりで連泊した、最後の旅行だったのに。

でも、偶然でもこの曲の入ったCDを選んでくれてありがとう。
いろんなことを、忘れてしまう前に思い出せて良かった。


私を信州に呼び寄せたドラマとは。
「あの日の僕をさがして」主演:織田裕二 でした。
ビデオ化もされていない、幻の作品です。
休みだー!ってことで、午後起き。
なんか最近このパターン。いけませんね。
途中目覚めて、夫のベッドが空だと、がぜん起きる気がなくなり、
もうひと眠りしてしてしまう。
だって。夫が先ってことは、居間は夫の空間になってる。
夫が見たい番組を見て、きっとギターも居間に持ち込んでる。
娘はアニメチャンネルを取り上げられて、パソコンで遊んでるだろう。
そんな部屋に行きたくない。寝てる方がマシ。

あ・・・家族の食事ですか?
んー、適当に食べててくれるんで、あまり関知せずです。(汗)

それでもまあ、午後をだいぶ過ぎてから起きたら、部屋の中は思ったとおり。
夫ときたら、寝転びながらギターを弾いていた。
あ゛〜〜〜。最悪。

そういえば、夫が土曜に家にいるのって久しぶり。
なんか調子狂う。っていうか、私の調子が出ない。

パソコンで遊んでいる娘の側に見慣れないマスコット系のモノが。
夫からのホワイトデーのプレゼントだって。
娘はソフトを使って自分のHP作りに励んでいた。
自分のことを「〜〜で、〜〜で、〜〜な女の子」なんて書いてる。
へぇ?なんか意外。
普段のお勉強と違って、次々とアイディアが浮かんでくるらしい。
いつかWEBに公開できるといいね。なんて。


さんざんウダウダしたあと、なんとなくお決まりコースのお出かけ。
夫の行きつけの楽器店のある大型スーパーとか。
普段の土曜よりなんか人出がありますねぇ。
節目の春を迎えた人たちは、色んな買い物があるんだろうなー。

夜は久しぶりにラーメンを食べに行った。
ラーメン自体久しぶりだが、この店もご無沙汰だった。味は大好き!
で、席に座りメニューを見ると、ガーーン。変わってる・・・。
白味噌・赤味噌・合わせ味噌など、味噌ラーメンの種類が豊富だったのに、
合わせ味噌だけになってた。
そしてメニューの先頭は「とんこつ醤油」になってた。
ずいぶんメニューの絞込みしちゃったんだねぇ。ぐすん。
でも、唯一、その店に足りなかった「お子様ラーメン」が登場していた。
よかったよかった。我が家には必需品。

私はとんこつ醤油にし、夫は味噌坦々麺、娘はお子様。
いや〜、んっまーーーい♪
味は変わってなかったですぜ、ご主人!麺がオイチー。スープもね。
チャーシューも、とろーり系で、言うことなし。
夫のスープにも結構いやしく手をつけてた私。
うん、次は絶対これにしよう!

帰りにレンタル店に行き、CDとDVDをかなり長く物色してきた。
DVDはジョージ・クルーニーもの2枚他。
1泊2日だと95円と言われたけど、ほかにも借りたし、ゆっくり見たいから
7泊8日にしたら?と「提案」しただけなのに、その通りにした夫が、
「オレの金だと思って・・・」って後になってから文句を言ってきた。
私は提案しただけなのにさー。嫌なら別に、その通りにしなくてもいいのに。
バッカみたい!ってことで、車の中でケンカ。ほんとバッカみたい。


夜中近く、やっとバンド仲間の待つアジトへ出かけてくれた。
はぁ〜〜〜〜〜〜っ。

明日はもちょっとマシな休日にしたいものだ。
今日の札幌は、やっと春らしいぽかぽか陽気だった。

近所のスーパーで、来週の保護者会の準備にどっさりお菓子を買った。
ママ友の一人に付き合ってもらった。

何を選べばいいのか、結構悩むので、こういう買い物には、決断の早い
相談相手がいると助かる。
学級費に余裕があったので、持ちきれないくらい買った。

何人出席かわからないので最大3分の2出席することを想定して、
20人分を用意。きっと余るだろうなぁ。


買い物のあと、丁度お昼だったので、ファミレスに食べに行ったが、
その時、最近ある相手にむかついてたことを、こぼしてしまった。
聞いた方はリアクションに困ってたな。
だって私がむかついてた相手って、私とどうみても仲良しなんだもん。

これって・・・・。
私自身も良く聞かされてはうんざりする話だ。
いつもつるんでるクセして、いないところで悪く言う・・・。
すんごくありがちすぎて禿しくカコワルイです。

実際、めちゃくちゃ腹が立ってたんだけど、でもこういうの、
回りまわって、本人の耳に入ったら最悪だろうなーと思うし、
そんな相手でもやっぱり仲良ししてるのを見たら、今日の話し相手にも
軽蔑されちゃうよね。

まあ、私も相手を選んで話してるつもりだけど・・・。(汗)

ゲゲ。小学生並み。この話やーめた!(笑)


ママ友のバッグがモロ私の好みだったので、「どこの?」
と聞くと、聞いたことあるようなないようなブランド名だった。
「私は服も靴も、ここのしか買わないの」と言う。
言われてみれば、そうだ、いつもこういうの着てるよねー。
でも、そんなこだわり屋さんだなんて知らなかった。意外な一面だなぁ。
どうして好きなのかというのを語られちゃったりした。
着心地重視で本物志向は、彼女らしい。
シルエットは時代と逆行してるようにも見えるが、やめられないって。
札幌でショップは三越だけだという。だから、価格帯も安くはない。
とりあえず、そのバッグはそんなに高くないので、欲しくなっちゃった。

家に帰ってヤフオクを覗いてみた。
そのブランド、出品数は少ないけど、大抵入札されている。
へぇ〜、やっぱ好きな人は好きなんだー。
じゃ、今度三越に行ったら見てみようっと。
とってもかわいい斜めがけバッグに惚れました。
って、ここにURL貼り付けたかったのに、まともなHPないよ〜。(涙)

ついでだから、三越のHPなんかも見ていたら、18日にリニュだって。
知ってました?>○○さん(笑)

やっぱ駅前対策でしょうか?
いや、ココだけの話、駅前はもう飽きちゃったって言う人もいるみたいです。
(爆)


そういえば、今日はホワイトデーだったんですね。
家庭内義理クッキーのお返しがありました。

永遠のおねーさん

2003年3月12日
夕方、再放送で、今井美樹の「ブランド」をたまに娘と見ている。
本放送のときも見てたものだけど、いつのドラマだったか思い出せないでいたら、娘がすぐパソコンで調べていた。
2000年の冬ドラだったのねー。

このドラマ、ある老舗ブランドを舞台にして、今井美樹扮する、35歳の
主人公の仕事や恋をテーマにした、甘めのドラマ。
ディオール全面協力だったので、ディオール好きの人にはたまらなかっただろうと思われる。

娘の場合、内容は関係なく、「綺麗な人」を見るのが好き。
今井美樹は、最近テレビでは見かけないので、娘には新鮮に映ったようで、今、松嶋菜々子が日本で一番キレイだと思っている娘から見ても、相当キレイらしいのだ。
たしかにね、タイプは違うけど、美しいことに変わりはない。
私も見ながら、「脚ほっそーい」とか「首ほっそーい」とか、「あんなの着たい」とか、娘相手にしゃべくりまくってる。

でも・・・。
「今井美樹ってさー、お母さんとだいたい歳同じなんだよ。おばさんじゃん?」と娘に言ってみた。(ご本人及びファンの方、ごめんなさい)
「えー、全然見えない。うそでしょーー」と娘。
「これは35歳だけどね、今はお母さんとおんなじ、おばさんなの」
すると娘は、「お母さんは、おばさんじゃないよ、おネーさんだよ」
「ほんと?まじで?」
「うん。ほんとほんと」
まあ、娘ですから。これくらいは言ってくれないとね。(笑)


先週、マイケル・ジャクソンの番組の前に、ユーミンのインタビュー番組を
見た。
ユーミンも若い!あれで54年生まれだなんて。
まさに永遠のおねーさんだ。
番組中、彼女ならではの名言が色々聞けたけど、
「実年齢は関係ないと思ってるけど、『早死にした』っていうほどの年でもなくなったし・・・」というようなことを言っていた。
それから、夫・松任谷氏との対談でも、「限界」という言葉を使っていた。
唄でも何でも、それは体の器官を通って出てくるものだ、と。
彼女なりに、実年齢と戦っているのかしら。


自分の場合もあちこちに実年齢の証しが刻まれつつある。
化粧惑星のCMでもないが、確実に「スガオ ガッカーリ」である。

もしも今、メイクやカラーリングのできない世界に放り込まれたら?
たとえば、入院生活とか、服役(笑)とか。
どっちにしても(後者は特に)、面会はお断りしたいかな。

でも、こんな「今」でも、「あの頃はまだ若かった」と思う日が、この先
確実に来る。その後もその繰り返しだろう。
だから、若さに執着することには、あまり意味がないんだよね。


とは言っても、今の人って、みんな若いですよねー。
実年齢より老けて見える人を捜すほうが大変なような気がする。
(ちょっと言い過ぎ?)
特に30代〜40代の女性は、みんな「オバケ」です。(笑)
でもこれっていいよね。
若い人に、「40なんかになったら人生終わり」なんて言わせたくないわ。
「年齢不詳」路線はちょっとパスだけど、やっぱり、実年齢には、
ずっと後から着いてきてほしいなぁ。
(これって執着かな、やっぱ)


ドラマ「ブランド」、今日の回で、今井美樹と10歳年下の男、市川染五郎
がベッドインするシーンが最後にあった。
娘は「ギャハハハ!」と笑っていたけど、母はやっぱり恥ずかしかった。

リモコン万歳

2003年3月11日
今日はいろいろ雑用を片付けた。
期限を過ぎてた振込みもあったし、捜し物もあったし、
どこに何が入ってるのか不明だった、撮りっ放しのビデオの整理もした。

そして、もうひとつ。「テレビのリモコン、取替えよう」

正確には、ケーブルTV用チューナーのリモコンね。
地上波も全部チューナーを通して見るから、テレビ付属リモコンの
出番はほとんどなく、7年前に契約したときにケーブル会社が持って
きたリモコンを使ってたのだけど、これが、ずいぶん前から使えなくなっ
ていた。
電池とかの問題じゃなく、「バカ」になっちゃってたのね。

最近では、リモコンでできるのは音声調整ぐらいで、選局は、チューナー
本体にへばりついて、送りボタンを延々と押してやっていた。
これがもう、面倒で。(チャンネル数多いから一仕事)
娘がいるときは娘にやってもらうけど、一人のときは、チャンネル替える
のが面倒ってだけで、面白くもない番組見てたり。

リモコンは消耗品だから取り替えてくれるって知っていたのに、
ついそのままにしていた。
でも、今日こそ行って、取り替えてもらおう。

そのケーブルTVの会社はうちの近所。
会社の敷地に入ってすぐの場所に来客用Pがあったので、車を入れた。
そのとき、駐車スペース前の氷の盛り上がりが気にはなったんだけど・・・。

会社に入り、無人の受付で電話機に向かって用件を言い、ロビーで待っていた。
ロビーの一角では、「パソコン教室」を開いていた。
教室と言っても、生徒さんは高齢の男女がひとりづつ、講師は若い社員がやっていた。
やっていることは初歩の初歩で、ホワイトボードには、ローマ字の読み方
みたいなことも書いていた。
だけどなんか、マニュアルどおりっていうか、工夫のない授業だなぁ。
もうちょっと初心者の生徒さんの立場になって教えたらいいのに。
なんて思いながら見ていた。

その間、リモコン担当の人が、何度か出入り。
あまり詳しくないのか、うちで使ってたのと同じ型のを薦めて持ってきたが、
ボタンが小さくて使いづらかったので、問題ないなら違う型がいいと言うと、
それを確認しに戻ったりと、結構時間がかかっていた。

結局問題無しなので、使いやすそうなリモコンに替えてもらえた。
やれやれと思いながら車に戻り、エンジンをかけ、アクセルを踏んだが、
やはり、思ったとおり。
前輪が、車の前の氷の塊を乗り越えられない。

バッグして勢いつけたくても、車止めが邪魔をする。
あーやっぱり、まずかったか・・・。
でも、ここ来客用だし、すぐ横の優先マーク付きのスペースだって、同じ状況。
だから、見た目はこうでも、大丈夫かなーなんて思ったのに。

ここ数日札幌は、ハンパじゃない寒さで、路上に残った雪はすべて硬い氷に変わっていた。

あーあ。自力脱出は無理。

また無人受付の電話に向かった。
「スミマセン。車が出ないので、押して頂きたいのですが」(汗)

まもなく、3人ほどの男性が出てきてくれた。
試しに、一人が運転席に座り、出そうと試みたが、やはり無理。
結局後ろを押してもらって、出ることができた。

「ありがとうございました」って頭を下げて出てきたけど・・・。

寒い中、迷惑かけちゃった皆さんすみませんでした。
でもさ。来客Pはちゃんとしておいてね。
氷はツルハシで割っておいてくださいよ。
私だけじゃないよね、来客は。


いやーーしかし、新しいリモコン、イイ!!
もう、どっぷり「手動」の世界だったので、ついチューナーに直接向かう
癖がついちゃってるけど。
さあ、これでバンバン、チャンネルサーフィン?するぞ〜。(笑)

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