5月7日の日記

2004年5月7日
新年度のPTA役員全員が集まる、年に一度の「PTA全体会」があった。
100人からの人が集まる。
そんな中で、「○○さん!」と旧姓で呼ばれた。振り向くと、「やっぱり○○ちゃん!!」と今度は下の名前で。
でも私には相手がさっぱりわからない。
「えーー??誰??」

名乗ってくれた彼女は、幼稚園に一緒に通っていた幼なじみだった。
(昔は園児も、子供だけで通園してたんですー)
家は近所だったので当然小・中も同じ学校だったが、クラスが一緒にならず、お互いたまに見かけるだけの相手になり、高校からは別の学校になった・・・という間柄。
言われてみれば、昔の面影はあるが、正直言うと、言われなくちゃまるで思い出しもしないような存在であった。

半年ほど前に市内の別の学校から転校してきて、5年生の男の子がいるということを話してくれた。
住まいも、わりとうちの近所だということがわかった。
お互いの実家の距離と似たようなもの。
昔からお行儀がよく、とても女の子らしい子だったけど、その通りのキレイなママさんだった。

しかし。1番の疑問をぶつけてみた。
「どうして私だってわかったの?」
私もそうだが、向こうだって、せいぜい10代半ばころの記憶しかないはずなのに。
だいたい、こんな大人数の中で見かけた顔と、遠い記憶が結びつくものなのだろうか。

彼女は言った。
「だって全然変わってないんだもの(笑)」

変わってない?変わってないって、一体・・・?
懐かしい相手に声をかけてもらって嬉しかったが、かなり複雑な気分になった、40の女ゴコロなのだった。

5月6日の日記

2004年5月6日
間近に迫った「母の日」。
嫁として、ちょっと目先の変わったものを贈りたい。
というわけで、友人のところに、シルバーの作品を習いに行く。

前にここにも書いたけど、学校で彼女を講師に迎えて講習会をやったところ、なかなか好評だった。
またシルバーをやりたいと言っていたMっちも誘い、友人Sさん宅へ。
何度も遊びに行ってるけど、生徒として行くのは初めて。
ちゃんと受講料もお支払いするという約束だったので、Sさんも、そのつもりで準備していてくれた。

さて。
Mっちは、前回より銀粘土の量を増やして、非常に凝ったデザインのクオリティーの高いリングに挑戦。
私は、生の葉っぱに何層にも銀粘土を塗っては乾かす・・・という手法のペンダントトップを作った。
普段手作りが趣味で器用なMっちは、実に素敵なリングに満足そう。
私の方は、目の前の、Sさん作のお手本と余りにも違う出来栄えにちょっと凹んだ。
簡単そうに見えたが、なかなか難しい。
まあ、でも、義母には喜んでもらえるだろう。
心がこもってますから。

色が変わってしまったシルバーのアクセサリー2点をSさんにピカピカに磨いてもらったら、見事に蘇った。
あと、破損したままになっていたプラチナとダイヤのリングも持って行ったら、「直してあげる」と預かってくれた。
我ながら図々しいとは思いつつ、スペシャリストな友人ってなんてステキなんだろう(笑)

5月5日の日記

2004年5月5日
連休最終日にやっと好天に恵まれたので、故イサムノグチプロデュースの、市北東部にあるデカい公園に行く。
車にチャリを積むキャリーに2台乗せ、久々のサイクリング仕様。

が、その前に、
普段お世話になってる車の営業マンから何度も電話をもらっていた、販売店のイベントに顔を出した。
ちょっとのつもりが2時間拘束(汗)
「買わないよ」って言ってるのに、試乗だ、査定だ、見積りだ、とフルコースで付き合わされた。
買わなくても十分借りは返した!と思ってるのはこっちだけだろうか?

さて、その公園に行くのはかなり久しぶり。
何年も工事してるのに、なかなか完成しない公園だったが、ずいぶんあちこち整備され、イサムノグチのギャラリーも兼ねた、巨大な建造物もオープンして随分経っていた。

チャリが2台・・・って、実は3台持って行きたかったのに、夫のサイクリング車がマンションの駐輪場から無くなっていたらしく。
普段、マウンテンバイクを2人共用で使っていて、3人フルでチャリに乗るときしか使っていない自転車だったので、いつから無いのかもわからない始末。
あとボロいママチャリもあるが、車の後部に積んで運ぶには忍びないものだったので、大人は交替で自転車に乗って、娘に付き合った。
後で気付いたが、公園でレンタルもあったらしい。
でも、車屋で足止め食ったお陰でレンタルの時間はとっくに終っていた。

広大な敷地内を、気持ちよく走りまわり、全身の細胞がリフレッシュされた気分になった。
芝生の上に敷物敷いてお弁当(コンビニのおにぎりだけど)っていう、最低目標も達成できたし。

夕方まで遊んでいたら、夫の携帯に義妹より入電。
夫の両親と妹は3人で道南を旅行していたが、家に着いたので、おみやげを取りにおいでということだった。
正直、帰りたかったけど、そうも行かず。

夫の実家で、今日ビデオに収めた映像を見せると、「あらーいい公園だこと。今度一緒に行かなくちゃ!」とはしゃぐ義母。
そんな日が来ないことを祈りながら、結局夕食もということになり、旅行先で買って来たもの中心の夕食を皆で頂いた。
というわけで、連休の大トリは、みんなで食べた食器の後片付けでしたとさ・・・。

5月4日の日記

2004年5月4日
この連休。

疲れるような遠出もしていないし、夫と娘が適当に出かけてくれていたので、普段の休みほど、家の中も荒れず。
ゆったりのんびりと過ごしていた。

レンタルの「24?」は、丁度半分まで見終わった。
すごいなぁ、これでまだ半分か。
「う〜〜もう1本!」って、まさにCMの状態なんだけど、あとは、次の集中レンタル(笑)までのお楽しみ。

やっとお出かけ

2004年5月2日
行き先は小樽のアウトレットモール。
とても久しぶりに行った。
前に行ったときよりもテナントが入ってて、活気があった。

でも。
買い物はなぜかクッション2個のみ。
(多分、市内で買ってもかわらないだろうというもの)
だって今回は書店とインテリアのコーナーしか見てないんだもん。
あとは夕食食べたら閉店時間(涙)
せっかく行ったのに。
ま、ヘンに散財しなくてよかったかも。

ドライブしてても、桜がまだで、つまんないっす。

夜の徘徊

2004年5月1日
天気は良かったが寒かったらしい。
娘と夫はチャリで遊びに出ていたが、風が冷たいと、早くに帰ってきた。

家事をやりつつのんびり過ごす。
AXNの「ザ・シールズ」にめっちゃはまっていて、今日も午後〜夕方にかけて2話見てしまったが、次から土曜の深夜に放送時間がうつるらしい。
なんか幸せ(笑)

ウチメシを済ませたあと、夜の街をドライブ。
大人しかいないカフェで、小学生を連れて一服。

「24」セカンドシーズンのDVDを2本レンタル。
深夜1時より鑑賞。
また、明るくなってから就寝。

連休前夜

2004年4月30日
明日から5連休という前夜。

地上波で「24」。2話づつなので、見応えある。

引き続き3時頃より「朝まで生テレビ」。
久しぶりに、番組終了まで飽きずに付き合った。

明るくなってから就寝。

寝る前に

2004年4月19日
書いておこうかな

<歯医者>

治療続けるの、もう面倒になってきた(笑)
私の行ってるところは、実は治療費が高いってことで有名。
院長が何やらいろんなお勉強していろんな免許?を持ってるってことらしくて。院長以外のドクターと、院長の治療とでは値段が違うってことに最近ようやく気付いた。
去年秋から冬にかけて総額いくらかかったのか把握してないんだけど、少なくない人から「あんな高いところによく行くねー」って言われると損しているような気になる。
治療の内容も、これまでかかったどの歯医者よりも良いってところは特にないし。
症状はすっかり落ち着いてしまったので、次のステージに行く前に中断しちゃおうかなぁ。

<PTA>

今年もまたやりますがね。
でもクラスの枠があと一つ埋まってない。
その引き受け手を誰かに頼む役目になってしまった。
毎年同じようなメンツでぐるぐる引き受け合って。
無関係って人はとことん無関係。
ただねぇ。
受けてくれる人も、結構シビアに選り好みしちゃって融通利かない。

私もやるならもう1年研修やりたかったさ。
部長だろうと引き受ける覚悟でね。
もう一人、去年の夏祭り実行委員長をやった人が、「夏祭りなら委員長やってもいいよ」って言っていた。
夏祭り実行委員長って、ものすごい多くの人を動かす指揮官で、かなり力が要る。私なら絶対やりたくなーいって思っちゃう仕事なんだけど、彼女なら適任なのだ。
このように、「長」をやる覚悟で申し出てる意識の高い(笑)私達だったが、「一部員」としてなら一番楽に見える研修委員と、任期が半年で唯一クラスから2名(お互い頼れる)選出の夏祭り委員に、「これ以外はやりません」と言いながら手を挙げた人たちに譲るしかなかった。

まあでも、そういう形でもやってくれるだけ違うか。
ったく、役員やりたくないばかりに、新年度1回目の懇談をばっくれる人間が多すぎるのだ。
ほんと、MJさんじゃないけど、毎度よくそんなにツラっと逃げられるよなぁと。
何がプラスで何がマイナスなのかってことをよく考えて欲しいもんだ。

とりあえずこのまま行けば私が学級代表(汗)。
でも、あと一人の出方次第で、役はスライドする可能性もある。
もーこうなったらなんでもいいわ。
誰かやるって言ってくれ、やるって。

ごめんよ〜〜(-人-)

2004年4月14日
涙なしでは読めませんね・・・MJさんの悶絶日記。

私はもう痛くないとはとても書けない

いや、痛いよまだ。食べる時はまだおそるおそるだし。
リンパのあたりはガッツリ腫れてしこってるし。
でも、何もしてない時の耐えがたい痛みからは脱したかな。
やっとパンがゆじゃない物が食べられるようになったことが何よりうれしい。

軟骨はローストビーフよりもはるかにヘビーだってことで、歯の調子の悪い時は気をつけなくちゃいけませんね(笑)

なんて冗談は抜きにして。
きのうMJさんへの秘密で書いたけど、うちのドクターが毎度言うには、こういうとき大切なのは「安静と栄養」なのだそうです。
今回私はその安静を守り、少々回復したところでドバドバ栄養を注入して危機を脱したけど、
MJさんのスケジュールじゃ、そうしたくてもそれは無理なんだよね。どうしたものか。
今日の早退が、回復を少しでも早めたと思いたいですが。

二日で治まるなんて書いてしまったけど、今回は自動延長ってことで・・・(苦笑)

私も前回やったときは仕事をしていたので、「安静なんて、んなこと言われても」ってまじで思いました。
それで抜いた翌日も仕事に行くの当たり前だと思ったけど、血が止まらず、顔も倍に腫れ、結局仕事どころじゃなくなりました。
それもこれも、あれこれ考えて、抜くのを急いだ結果です。
耐えて待つ。これっきゃないんだ、軟骨食べちゃった場合は(しつこい)

その痛みは永遠じゃないから。薬が切れたときはそりゃあ辛いけど、耐えましょう、一緒に。
ってもう、「一緒に」は言えないか。

くれぐれも、ヤバイ薬入手に走らないことを、切に(以下略



ごめんよ1抜けちゃって。元同士より。

4月13日の日記

2004年4月13日
痛み止めの効きが昨日より良くなり、持続時間も長くなった。
最悪の事態は脱したかなとホっとしてだいありぃを開き、MJさんの日記を読んだら書かずにはいられなくなった。
まっったく同じです、MJさん!!

先週痛んだ時は、予感どおり何とかなり、金曜には弟や母と焼肉を食べに行けるほど回復した。
が、痛んでいる時に使いすぎたせいか、反対の右下の奥歯(元爆弾の隣でデリケートな箇所)の妙な感覚が気になっていた。

土曜にラーメンを食べに行ったとき、濃い味にそこがとても反応したのも気になった。
なのに日曜に、夫のおごりでローストビーフを食べに行ったのが決定打になり、元爆弾並みにそこが「爆発」してしまった。
「軟骨攻め」が引き金になったMJさんとおんなじ(笑)

きのうはそれでも、前に治療に通っていた時の化膿止めや痛み止めでなんとかしようと思っていた。
けど、痛み止めは効いたと思ってもせいぜい2時間。
立て続けに飲むわけにもいかず、すっと痛みと戦っていた。
保険の営業をしていない今、嫌な場所ナンバー1に復帰した「歯医者」。
できることなら行きたくないし、実は実は、前回治療は半端なままやめてしまっていたので、非常に行きづらかったのだ。
でも、新たな所に行くよりは、前からの状態を知っていてくれる前回と同じ病院がいいだろうと、観念して今日の朝、予約の電話を入れたのだった。

思ったとおり、腫れがひどいので、たいした治療はされず、薬を出されただけ。
ただ、MJさんと同じで、腫れで浮いた歯がちょっとでも触れると激痛と言う状況でまともに食べられなかったので、かぶせものを少し削って当たらないようにしようかと提案された。
その時は「触ってほしくない」という思いで一杯でとても応じられなかったけど。
朝に飲んだ痛み止めがとっくに切れていたので早く帰って薬を飲むことだけ考えていた。

今日の札幌は最高気温14度で、風もなく、うらめしいほどの良い天気。
でも、痛みに支配されている時は、まるでポジティブな考えが浮かんで来ない。
それに歯が痛い時って、食欲もなくなるから(実際食べれないし)生きてる楽しみってものが無い。悲しい。

薬を飲むのに空きっ腹はよくないので、きのうから私が食べているのは「パンがゆ」。
「ごっくん期」の赤ちゃんのような柔らかさのものしかダメ。量もそんなに食べられないし。
夜、痛みと戦っている上にさらにグーグーとお腹が鳴るって、ほんとに切ない・・・。

しかし、何でこんなことになったのだろう。
経緯を説明したときに、やはりドクターには「何かストレスや疲れや睡眠不足はありましたか?」と聞かれた。
ある、大ありだ。
でもそれって、誰のせいでも何のせいでもないんだなぁ。
MJさんのように、超人的スケジュールをこなしているわけでもない。
責任のあることに携わっているわけでもない。
ただ、気の向くまま夜更かしを続けていたら、あるときから本当に眠れなくなってしまった。
朝3時とか4時まで起きててもそのあと3時間寝て、足りない睡眠は昼間補充できればOKだったのに、
4時からそのあと一睡もできないで朝を迎えるっていう異常な日が続いたのだ。
そういう日は、結局昼間寝てしまうことになり、体内リズムがめちゃめちゃで、トータルで寝てるから大丈夫って思ってても、実は1日の終わりに眠りにつけない自分に相当苛立っていたし、ストレスを感じていた。
この結果がこれである。
同情の余地なし。

慢性的な夜更かし人間だったが、ここまでずれこむと免疫力も下がるってことだ。
それにもともとこういう生活に罪悪感があるため、一睡もしていないことは億尾にも出せず、予定があるときは無理を重ね、自分で自分の体をいじめていたのだ。
自分でストレスを製造して・・・救いようがないわな。

とりあえず今回はきちんと歯を治療して。
1日の終りにきちんと眠れる体になるべく、見直さなければならないところに目を向けなければ。

何事も自分次第。なのですよ、ほんと。(←お題目)

MJさん、どうぞお大事に。一緒に治そうね(涙)

やっとなのに

2004年4月7日
娘の学校も始まり、最近夫は「朝」のうちに出勤してくれる。
(その日その日で家を出る時間が違ってたんだけど)
春が来たのね、ラララ〜。

と思ってたら、ゆうべから歯茎が病んで・・・。
経験的に、不摂生や疲れが溜まると、私はこうなる。
これまで爆弾だった歯を去年せっかく抜いたのに、まったく違う箇所が痛んで。うぅ。
まあピークは去ったので、あと少しの辛抱だろうけど。
でも今日は全く機動力がなかった。

今日はヨーカドーで卵が安かったのよね。ヨーカドーのは新鮮で、安くても安心して買える卵だったのに。
午後から行ったらやっぱり残ってなくて、どれも値段は100円以上違う。
涙を飲みながら、高い卵を買った。
こういうときの百何十円ってなんて大きく感じるのだろう。

弟が実家に帰って来ているので会ってきた。
ちょっと手術して退院してきたばかりだが、元気そうだった。

4月5日の日記

2004年4月5日
春休み最後の1日。
新学期の用意はまだ何にもしていなかった。
上靴やら学用品やらを買いにヨーカドーに。
そういえば、気になっていた、新学期の学級編成。
人数が足りて4クラスなら、めでたく持ち上がりだけど、そうでなければ40人学級が3クラスで、担任もどうなるかわからない。
学年末には必ず120人を割るこの学年、春先は毎年「今度こそ3クラス?」とヤキモキさせられ続けてきた。
今日は新6年生何人かが入学式の準備で学校に行っていて、そのうちの一人のママから「6年も4クラスあったって!!」といううれしい連絡が来た。
そっかーー。これでひと安心。
同じように情報を待っていた仲間にメールしながら、娘とヨーカドーのマックで、春休み最後の午後をまったり過ごした。

4月4日の日記

2004年4月4日
天気もよく、春休み最後の日曜だったので、またビデオを持って車で出かけた。
当てもなく・・・だったが、もしかしたら兄の住む町の方まで行くかもと冗談半分で昨日買った洋服を持った。
結局そのとおりの方向に車を走らせた。
途中兄の所に電話すると、義姉と姪は留守、翌々日入学式を控えた甥は熱を出しているということだったので、今回は行かないねと電話を切った。
でも、私達は久しぶりのドライブモードだったので、そのまま高速に乗り、2150円分高速に乗り、その町まで行ってしまった。
大きな子供用の施設のあるSAに、前から行ってみたかったのもあったんだけど。
でもそこはまだ雪が残ってて、ちゃんと遊べる状態ではなく、カメラでちょこっと撮影して、ぶらぶらしてというプチ行楽だった。
せっかく来たので、持ってきたものを置くだけ置きに兄の家に寄り、びっくりされたけど、上がらずそのまま帰路に着いた。
帰りは国道を走り、久々に道の駅に寄ったりして。
漠然と抱いていた「どこか遠くに行きたい」という思いを達成できて、私的には満足だった。

4月3日の日記

2004年4月3日
先日買ったビデオカメラを持って、外で撮影しようと出かけたが、公園なんかは前日の雪でドロッドロ。
私と娘の歩く姿を夫は撮影していたけど、ヨチヨチ歩きの幼児でもない娘と仏頂面の私なんか撮ってどこが楽しいのだろう?

結局ほどなくして車に戻り、走っていたら駅前のデパートに着いた。
今年中学と小学校に入学する姪と甥のお祝いをまだ用意していなかったので、デパートで洋服を買うことにした。
こういうのはうちでは夫が張り切る。
過去に「○○さんの選ぶものは違うわ」って母とか兄の奥さんにとかに言われてるものだから、絶対的に「オレのセンス」に自信があるらしい。
一方私は時間ばかりかかって、結局最後に選びきれないなんてことはしょっちゅうなので、2人のサイズだけアドバイスし、自信のある人に任せた。
姪にはヒッコリー襟のジャケットを、甥には切り替えがおしゃれなカーゴパンツを選んでいた。
いいんでないかい?なかなか。

そしてデパート前の広場でまた歩くだけの娘を撮影(笑)
ほんとに、何の愛想もなく、あきらかに迷惑って顔してるだけなのに。
この前、「もっとかわいいうちにこそこれがあればよかったのにね」と夫に言ったら、「今でもかわいい!」と真顔で返されたな、そういえば。
まあ、今11歳の娘のことを、後で振り返ると、「小さくてかわいかった」と思う日も来るのだろう。
今日の映像も無駄にはならないんだろうな。
先々週のうちから連絡は来ていたものの、土曜じゃなく金曜の夜の飲み会、どうしようかちょっと考えていた。
土曜なら早くに言っておけば、夫は都合をつけてくれる。
でも金曜のことを「早くに帰れる?」って聞いても、「どうなるか約束はできない」という返事になってしまう。
まあ、子供は実家に頼み、あとで夫に迎えに行ってもらうしかないかなーと思っていたが、そうなると夫の夕食まで母に頼むことになりそうで、母は「構わないよ」と言ってくれたけど、ちょっとばかし心苦しく思っていた。
そこで私の考えた手は。
会社まで、娘と一緒に夫を迎えに行き、夫に飲み会の店まで送ってもらうという手だった。
「早く帰ってきて」より、「○時に迎えに行くから」と。
やっぱ「車で帰れる」ってことが、大きな魅力だったようで(笑)、考え通りにコトは運んだ。
飲み会の店も、車で行くような場所で、ほかのメンバーはタクシーで行ってたようだったので、尚更好都合だった。
家を出る前にちゃんと2人の夕食の準備はしてきたし。
あとは仲良くやってちょーだい。

飲み会メンバーはクラスのママ友ばかり7人ほど。
新年会は先生も呼んでの「公式」のものだったが、今回は「非公式」というか、まったく個人的な集まりで。
新学期、また同じクラスになれるかは学年の人数的にまだわかっておらず(大丈夫じゃないかっていう情報は多数あるが)、「何に乾杯しようかね」なんて始まり方だったが、結局しゃべりまくり飲みまくりで、2次会終了したのは2時近くだったような。

冬に逆戻りしたような雪降りの1日だったが、ベリベリホットになれた金曜の夜だった。

何してた?

2004年3月31日
もう3月が終るのか〜。
こないだ始まったと思った春休みも、あらもう半分?
何もしてない時って、どうしてこう時間が経つのが早いんだろう。

今年は冬物クリーニング(第1弾)を早めに終らせた。
春先にクリーニング貧乏になるのは毎年のことだけど、さっさと済ませば気分的には違う。
クリーニングした物が戻ってくる前に、場所を作るためにクローゼットの整理をした。
捨てなきゃ入らんって。また昨シーズンよりも増えた衣類に溜息が出る。

それから、今年に入って一度も開いてなかった(汗)、パソコンの家計簿を観念して開いた。
気になってたけど、なかなかその気になれなかったこと。
なのに一度始めると、持ってるレシート全部を入力したくなる(爆)
まだまだあるのだ、レシートの束。
捨てられない女はレシート1枚捨てないのよ、いつかは来るこういう日のために(来ないかもしれないけど・笑)

こんなふうに、3月は終りました。
去年の運動会前日に気付いた、我が家の8ミリビデオのご臨終。
運動会当日は夫の父に借りたビデオで凌いだが、秋の学習発表会の時はビデオ無しで、私的にはかなり残念だった。
(また夫の父に借りようかと思ったが、もれなくジジババが付いて来そうで面倒でやめてしまった)

なんとなく、欲しいけど高くて手が出ないんだろうなーと思っていたのですぐに買おうとは思ってなかったんだけど、最近新製品のCMが気になり、調べてみると一時期よりも手が届きそうな価格と知る。
夫に話すと、「じゃ、買うべし!」と。
1週間ほど機能や価格を調べ、これに決めた。

確かに、「最小」「最軽量」の物にとても心を奪われたが、決め手はスペックと、「カメラメーカー」に寄せる信頼度かなぁ。
これでも、うちのゴツいデジカメと大きさはそう変わらない。

ヨド○シで、ポイント20パーセント還元でゲッツ。
そのポイントに5000円ほど足して、プリンターもやっと新しくした。
年賀状作成では、遅いし汚いしでほんとに泣かされたもんなぁ。
デジカメで撮った写真も、ほとんどプリントアウトする気になれなかったし。

これまでのは、ビデオはもちろん、プリンターも前世紀のものだったから(2000年)、いやーもう、感動の連続。
21世紀の武器を持って、去年の無念のリベンジを果たすのだ!

秘密のみですが

2004年3月26日
転機の春を迎えた皆さんに、ただただ、胸を熱くしております。

元気でね

2004年3月23日
一緒にダンスをしていて、12月に4人目の女の子を産んだ友達が、あと数日で遠くに引っ越してしまうので、今日お家に行ってお別れしてきた。
赤ちゃんは3ヶ月。
先月、彼女の家の近くで送別の飲み会をし、その帰り、夜中に酒臭いおっさん(同級生男子達)ともどもお邪魔してしまったのだが、その時も嫌がらずに酔っ払いに抱っこされてニコニコしていた。
ほんとにかわいい赤ちゃんで、見ていて飽きない。

彼女は、ご両親や妹家族と、ご両親の建てたアパートにフロア別に住んでいる。
学生時代からそこに住み続けている彼女の家は、仲間にとっても「実家」のようなもので、ふらっと後輩が訪ねてきたり、遠方の友達(12月に会ったRちゃんのような)も、彼女の家に行けば誰かに会える・・・と目指してくるような、そんな「要」のような友達だった。
いつまでもそこに住み続けるだろうと思っていたのに、いなくなるなんて、ご主人の転勤について行っちゃうなんて。
誰にとっても「まさか」という展開だった。

「でもね、うちのパパはここを出たがっていたのよ」と、彼女は自分の親と同居同然の暮らしの中で、ご主人の思いをひしひしと感じていたのだ。
「単身赴任」という選択肢もあっただろうに、初めてご両親と離れて、知らない土地に小中学生の子供達を連れて引っ越すなんて、勇気のいる決断だっただろうけど、敢えてそれを選んだんだよね。
自分達夫婦とその子供達という「家族」を何よりも大切に考えた結果なのだろう。

その部屋では、何年にも渡って、いろんな顔ぶれの仲間と楽しい時間を過ごさせてもらったけど、引越荷物に囲まれて、彼女と彼女の赤ちゃんと3人で過ごした今日の午後の時間を私は忘れないと思う。

3月22日の日記

2004年3月22日
午前中、友人宅で集まり。学校も学年も違うお母さん仲間なんだけど。
おしゃべりに花を咲かせ、お菓子を食べ、手作りのお昼もごちそうになる。
午後は、学校で今年度最後の懇談会。
学級費消化で、ここでもたくさんのお菓子や飲み物。
そして先生も一緒におしゃべりの花。
少々疲れた。
ま、消耗はしたけど、パワーはダウンしてないはず。

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