暑かった〜

2004年7月29日
朝からアヂアヂで。
ゴミ出しに行くにも、マンション専用の二つあるゴミステーションのうち、遠いけど日陰を歩ける方を選んだ。

一応ラジオ体操に合わせて起きているので、午前中がやたらと長いんだけど、今日はダンス教室。
湿気が少なかったのでそんなに汗はかかずにすんだ。
が、丁度教室を出たのが正午ぐらいで。
駐車場までの1分ほどの距離でも日傘が必要なぐらいのジリジリ系の暑さだった。

帰りはまっすぐ、特売のチラシをチェックしていたヨーカドーに車を走らせた。
エアコンフル稼働で車のパワーが落ちていて、信号待ちのあとの出だし勝負で、隣の車をふりきれなくて悔しかった(笑)
ヨーカドーの屋内駐車場がありがたい。
異常に涼しい食品売り場で目当ての品々をゲットし、アイスなんぞはドライアイスを入れてもらって、それでも急いで、鮮度死守のために最短距離で家に戻った。

なんだかこう暑いと、どうしても買ってしまうのが、冷たいスウィーツ。
アイスよりもこっちが好きな私。
危険だなぁと思いつつ、今日も生クリームたっぷりのプリンとコーヒーゼリーを買ってしまった。
昼はそうめん、夜は冷しラーメン。
まさに、夏である・・・。
ゆうべの雷雨。
空がずっと光り続けるなんて、生まれて初めて見る光景だった。
もともとこっちはカミナリ慣れしてないんじゃないかなー。
私が初めて何本もの閃光を見たのは、東京で、帰りの通勤電車の中からだったと思う。
つり革につかまりながら、「すっげーー」って興奮した・・・。
ゆうべも、停電するんじゃないかとハラハラしながらも、どこか興奮してたような気がする。
カーテン開けて、次々と走る閃光と明るい空を、飽きずに眺めていた。
備えたことと言えば、パソコン切って、懐中電灯と携帯ラジオを準備して、親の所在を確認したぐらいだった。
MJさんを見習わなければ(笑)。

夏は暑い方がいいなんて書いてはいたが、実のところ、かなり参ってました(笑)。
気温にもだけど、ここ数日の異常な湿度の高さに。
きのうは、顔に何か塗るのも嫌だったので、ずっとスッピンだった。
でも、今日はかなり、その湿気から解放されて、ほっとした。
うちの湿度計の針も久しぶりに70%を切った。
こんなことで、いろんなことの進み具合が違う。
ああ、北海道バンザイ。

中島らも氏の訃報に、ココの人々が動揺している。
こないだの野沢尚氏のときよりも多く、関連の日記を見たような気がする。
愛されてたんですね、らもさん。
合掌。
何度か目覚めながらも、ちゃんと身体が動いたのは、もうほとんど昼近かった。
せっかくの夏休みの日曜なのに、娘に悪いなーと思いつつ、暑くてだるくて、日中は無為に過ごしてしまった。

夫が起きてきたのは午後遅くだったし。
いい加減にして欲しい、この、休日ごとの昼夜逆転生活。
(私も人のこと言えないが)

夕方、ちょっと夕飯の買い物のつもりで3人で出かけたのだけど、こんな日は大通り公園のビアガーデン混んでるんだろうねぇなんて話したことから、車は大通り方面へ(笑)

長居はしないつもりだったので、路駐のまま、サッポロビールの会場へ。
いやー、盛況でしたよ、大賑わいでしたよ。
やっぱ夏は暑くなくちゃね。
だいたい、そう長くはない夏なんだし、冷夏のビヤガーデンほど寂しいものはない。
ま、せっかく来てもビール飲めるのは私だけというのは毎度のことで。
うまくもない、つまみとジュースで結構な出費というのも、まあここだからということで。
ステージ上の生ライブがちょっと騒がしい中、とりあえずは夏を味わった。

去年は1ヶ月ほど東京出張だった夫だけど、今年は無いそうだ。
ちょっとぐらい行ってくれればとも思うけど、今年の暑さではさすがにかわいそうかも。
出張組は皆嫌がっていると夫も言っていた。

ちょっと涼しい。でもほど良く生ヌルイ。
いいねぇ。いいねぇ。
北海道の皆さん、今年は、冷夏のリベンジいたしましょう!

また飲み会へ

2004年7月24日
2週連続で、ちょっと申し訳ないと思いつつ、今夜も夫の車に送られて飲み会へ。
今日は幼稚園のクラスの集まり。
当時の担任・副担任の両先生も、都合のつく限り参加してくれるこの会は、だいたい年に1回はある。

会場の店の前で車を降りると、すぐそこまで先生2人が歩いて来ているのが見えたので、車を出そうとする夫を止めて、一緒に乗っていた娘を呼んで、先生に挨拶させた。
ほとんど卒園以来、先生達と娘が会うことはなかったので、「あらー、すっかりお姉ちゃんになって」「やっぱり美人さんになったね」などと言われて、娘は恥ずかしそうにしていた。
成長した娘を先生達に見てもらえて良かった。

今日はだいたいクラスの半数ほどが参加していた。
事前に幹事から「子供の最近の写真を持ってくるように」と言われていたので、皆でその写真を見ながら、「うわー、もう別人だよねー」などと、子供達の成長ぶりをワイワイ言い合った。
卒園後、同じ学校に進んだ仲間が何人かづついるのが普通なんだけど、うちの学校で幼稚園が一緒だったのは男の子一人だけなので(そのお母さんは昔から、全くこういう付き合いをしない人)、私は親子共々親しい子以外は、卒園以来、全く会っていない。
もう、どこかで見かけてもわからないだろうなぁ。

今回はいつも来るメンバーというより、何年か間が空いた人が多かった。
久しぶりに会えてうれしいと思えた人もいる反面、正直もうどうでもいい人もいる(汗)。
でも、なんだかんだ愛着もあるし、やはり先生に寄せる信頼が厚いのもあるせいか、こうしてもう6年も続いてるんだと思う。

もともと、この集まりは喫煙者が少ないのだけど、今回はとうとう私一人だけで、ちょっと肩身の狭い思いをした(笑)。
そのうち呼ばれなくなるかなぁ、なんて・・・。

5時間近く1箇所に居座り続けられるのも、主婦飲み会ならでは。
2次会無しで解散になり、ちょっとホっとした。
会場が中途半端に遠い場所だったので、リッチマダムBさんと一緒にタクシーで帰った。

そういえば、Bさんから、帰り際荷物を渡された。
アメリカ旅行のおみやげと一緒に、新しいビデオテープ3巻。
前に、LALATVでビバヒルの放送が始まった頃、第1シーズン全話を録画してあげたんだけど、そのテープをまだ返してもらっていなかったらしい。(忘れてた)
でもさ、我が家がDVDレコーダー購入したかどうか、聞きもしないでビデオテープ寄越すなんて、Bさんたら。
いや、まだだからいいんだけど(笑)。
それにしても、春休みだかゴールデンウィークだかに行ったというアメリカ旅行(ロス方面)では、200万かかったとか。
相変わらずのお金持ちトーク炸裂なBさんだった。

昼間ずっと暑い暑いと言いながら過していても、夜になると外は丁度良いくらいに涼しい。
この「涼しい」っていうのは、いいなぁ。
ヘタすると、「夜は寒い」っていうのが、北海道の夏だから。
酔った身体に心地よい夜風。
いいっすねぇ、今年の夏は。
今日で娘の1学期も終了。早いなぁ。
午後からは、学校で恒例のPTAによる夏祭りがある。
毎年女の子の大部分は浴衣姿になるので、既に去年で限界に思えた娘の浴衣を新調してやるつもりでいた。
でも、つい最近水着を買った後は、ゆっくり浴衣を見て歩く時間も作らなかったし、経済的にもキッツイ状況で、
結局今年も去年までと同じ浴衣にすることにした。
嫌だって言うかなと懸念していたけど、娘本人は別にいいよーということだった。

でもね、まじでもう4年目の120センチの浴衣!(笑)
娘の身長は、春の計測では137センチだった。
が、肩上げもおはしょりも全部ほどくと、丈もゆきも身幅もまだギリギリ大丈夫に見えた。
呉服のプロ(だった)母に、「これでいい?」と本人が着たところを見てもらったら、
「いいんじゃない?今の子はいろんな着方してるし、浴衣なんだから」と言われた。
むしろ、肩上げのない姿は大人っぽく見えたし、もともと、黒地のその浴衣は、娘にはとても似合うのだ。
(と思い続けてもう4年・・・笑)
とにかく、買わなくていいことにホッとした。

着付けてやったり髪を結ってやったり。
会場での手伝いもあるし、この日は結構忙しい。
女の子のいるお母さんは、このためにパートを休んだりする。
友達との待ち合わせの時間に間に合うよう忙しく仕度してやり、送り出したあとホッとする間もなく、自分も仕度をして学校に出かけた。
小学校で最後の夏祭りだから盆踊りの様子を撮ってやろうと、ビデオも持って出かけた。

6年生のお母さん達は毎年、飲み物や軽食の販売(チケットとの交換)を担当する。
なので、テントの庇の下で、お寿司やおにぎりやジュースを子供達に渡す自分を想像して出かけたのだけど、
仕事を割り振る実行委員のお母さんに仰せつかったのは、「最後尾です」と書いたダンボール紙を、
長蛇の列の後ろで高々と持ち上げている・・・という仕事だった。
何故か例年よりも列は長く、すぐ横のゲームコーナーにできた列とごちゃまぜになりそうな混雑ぶりで、
それが延々と途切れることがなく、30分という担当時間が過ぎても誰も交替に来ない。
あとで聞くと、他の学年の手伝いとかけもちでやっていた人以外は、交替時間が来ても、誰も持ち場から離れられなかったらしい。
曇り空で涼しかった去年と違い、今日は校庭の真中で強い日差しを長時間浴びることを余儀なくされてしまった。

祭りも終盤に近付いたころ、やっと列も落ち着き、看板持ちから解放された。
木陰でジュースを飲んで一休みしてると、盆踊りの始まる時間になった。
一度娘の様子を見ると、私の着付け方がきつかったから友達に直してもらったらしいが、
かなり悲惨に着崩れしている(涙)
ていうか、毎年着崩れるから、帯をきつくするって言ったのに。ガッカリだ。
でも、直す時間もないまま盆踊りが始まった。

地域の人の協力で、校庭に本格的なやぐらを立て、高学年の何人かが交替で大太鼓を叩く、
この盆踊りが、なんと言っても夏祭りの目玉になっている。
毎年楽しげな子供達を見て、準備や手伝いの疲れも忘れ幸せな気分になれる。
それも今年で最後だなーと思いながら、ビデオで踊りの輪を撮っていると、突然レンズを覗き込むでかい顔。
「踊るよ!」と母友達に踊りの輪に引っ張り込まれた。
ま、最後だしね。
子供達、先生達、お母さん達。年に一度、こうして踊ってきたんだな・・・。

しかし、うちの子は。
今年はあまり踊りには熱心ではなく。
校庭の端で、男子達と仲良く談笑するおませグループと一緒にいた。
なんだよぉ、なんか寂しいな・・・。

明日から小学校最後の夏休み。
こうやって最後最後って何かと意識するのは親だけなのかも。
でも、温泉のホテルをネット予約していて気が付いた。
「子供料金」で泊まれる夏が、今年最後だってことに(笑)。
今日はダンスのレッスンの日。
先日タクシーで送ってもらったお礼に、菓子折りを持ってダンス教室に行った。
いや、習い事の先生だし、レッスン代や時間も融通してくれているのだから、そんなことがなくても
お中元、お歳暮は、気が付いた時はするようにしていたのだけど。
K君も奥さんも「そんな気を遣わないで」とかなり恐縮していた。

それもあってか、次の予定がなかったのか、いつもよりかなり長い時間レッスンをしてくれた。
といっても1時間には満たない時間なんだけど、最後の方はフラフラになってた。
来月、一緒にここで習っていた友達が引越し先の仙台から、子供達を連れて何日か帰ってくる。
「ダンスシューズを持って帰るからね!」と早々と知らせてきていた。
「すごく踊れるようになったところを披露してびっくりさせよう」とK君が張り切ってる(笑)。
「それまであと2回ぐらいしかレッスンないんだからね!」と、休むなというプレッシャー。
前は、子供が休みのときはレッスンは休んでいたんだけど、この夏はせっせと通うかな。

レッスン後、冷房をガンガンに効かせた車でちょっと遠回りしてドライブする。
今日習ったことを反芻しながらの、この時間が結構好き。
はーしかし、帰りに買い物に寄っても、疲れて大した物も買わないまま帰ってしまい、
1学期最後の貴重な6時間授業の日を、あとはただ昼寝に当ててしまった。
情けない。

男女8人夏物語

2004年7月19日
連休中日、日曜のススキノにて。
4対4で40’sの男女が集まった。
昔も今もべったり仲良しだったわけじゃないが、会えば共通の思い出も多く、それぞれの今についても話は尽きない。

ダンス教師K君とメダルテスト会場でばったり会ったUちゃんは、咄嗟にK君を「先輩」と呼んだという。
ダンス教室仲間の前で、年をいくつかでも若くごまかすためだと。(笑)
そんな手、思いつかなかったなぁ。

釧路から来たT代、前にみんなで集まったときの写真を焼き増しして持ってきてくれた。
「遅くなってごめんね」
いやいや、T代がこんなに何枚も撮ってくれていたことを忘れてたよ、ありがとう。
2002年4月のその写真に写っていて、今回来ていない4人分の写真を預かった。
全部渡せるのにまた2年かかるかも・・・。

懐かしい先輩M田さん、居酒屋に入ってくるなり、相変わらずの長身に、昔よく言った、「天井に頭ついてますヨ!」という軽口が誰からともなく出てくる。
こんな180超の人と160もない私が、バランスよく踊れるわけないのだ。
しかし、無口なところも変わらない。
結局M田さんといても、つまらなくて仕方なかったんだな、あの頃の私は・・・。

Rちゃんのいる飲み会は最高だ。めちゃくちゃ楽しい。
私はここ何年かで数回会ってるが、Rちゃんとは結構久しぶりというメンバーも多い。
『Sex And The City』のキャリーを見ていて思い出すのはRちゃん。
小柄なところ、キュートで知的でフレンドリーなところ、タバコの吸い方。
そして、キャリーと同じく「ホットなスポット」をこよなく愛し、N.Y.ならぬススキノを熟知していた。
地方のお金持ちの一人娘。
頭が良かったので、中学から札幌の学校に通い、高校は札幌一の進学校だった。
なのに、高校で遊びすぎたせいで、うちの大学に流れてきたわけで、豊富な財力と、マンションでの一人暮らしという自由な環境で、遊びの道を極めていった。
今、民放が2局しか入らないという宮崎で、年上のご主人(3人目)と、共に大学で講師をしている。
田舎での静かな暮らしを気に入っているという今のRちゃんと昔のRちゃんは俄かには結びつかないけど。
今回はお父さんの23回忌のために帰省したと聞き、「もうそんなになる?」ってちょっと驚いた。
大学1年の夏、彼女のお父さんは突然亡くなった。
なのに、Rちゃんが「普通にしていて」と言ったにしても、その話題に触れずに当時を過ごしたのは、私達も若くてどうしていいか分からなかったからだろう。
この夜、彼女は「父は亡くなった時、47歳だったんだ。ダンナももうすぐその年だけど。父は幸せな人生だったのかなって時々思うんよ」と珍しくしんみり語っていた。
このRちゃんと私の夫が、なんと「又従兄妹」同士だと知ったのは、結婚直前のことだった。
世の中狭いっていうか、人の縁というのは不思議なものである。

あとのメンバーは、製薬会社「農薬部門」営業で、年中農協のオジサン達を接待しまくり、メンバー中ただ一人、醜く肥えてしまったH山。
カード会社勤務で「買い物は金を貯めてからにしろ。リボ払いには手を出すな」が口ぐせのT中。
そしてK君の同級生男子3人。
彼らとはまあ、たまに会って飲むこともあり、H山の海外接待チン道中話や、T中のお客のカード破産実話や、K君と私のレッスン秘話(?)などで、毎回楽しんでいる。

ところで、40’S(まだ入り口・笑)の男女8人、全員既婚だけど、そのうち4夫婦に子供が無い。
子供がいる4組中うちも含めて3組は一人っ子。
奥さんが若いH山なんかはまだ子供が望めるかもしれないけど、あとはちょっと厳しい年齢。
うーむ。日本の未来はやっぱりやばいかも。

日曜の夜だったので、ススキノは休んでいる店が多くて、営業中の店も観光客や結婚式2次会のグループで込み合っていて、2次会で落ち着ける店を探すのに苦労した。
が、「あそこなら」と誰もが思いつく、席数が多い、やはり観光客相手の居酒屋に行くと、何とか8人分のテーブルが空いていた。
「北海シマエビ一尾150円」なんてぼったくりメニューに「ありえないよね〜」と突っ込みつつ、日付が変わっても尚、飲んで語った。

「また会おうね」と言って別れたが、この日と同じメンバーで「また」っていうのは、まず無いだろうな。
みんなもそう思ってたはず。
それでも、誰かと誰かが繋がっていれば、またこんな夜もあるかもしれない。

帰りはK君が、遠回りしてタクシーで送ってくれた。
ススキノからK君の家はすぐなのに、申し訳ない。
実は、前回飲んだ時など、札幌の北の果てからも送ってもらっていたので、今回こそ払おうと思っていたのに、やっぱり受け取らなかった。
そういえば、飲み代も余り払ってなくてその分男子が負担してくれたし。
まだ女の子扱いしてもらえることを、ちょっと嬉しく思いながら、また甘えてしまった。

私は、今の生活を、十分幸せだと思うし気に入っている。
(あまり多くを望んでいないので)
むしろあの頃の方が、悩んで傷ついて毎日が大変だった。
でも、あの頃の自分は、今の自分には絶対に勝てないものをたくさん持っていたんだよなぁ。
そんな自分に久しぶりに会えたような気がした夜だった。

前夜におさらい

2004年7月18日
ここのところ、コンスタントに出かける先っていえば、木曜午前のダンス教室ぐらい。
だから、木曜が来ると、「ああ、もう1週間経ったんだ、早いなー」なんて思ってしまう。

大学ダンス部で一緒だったRちゃん(宮崎在住)が、この三連休札幌に来ているので、当時の仲間何人かで会うことになっている。
仕切ってくれたのが、ダンス教師K君で、木曜のレッスンのとき、「で、誰々が集まるの?」と訊いた中に、釧路から来るT代だとか、卒業以来会っていないM田先輩とか、S短大(パートナー校)のUちゃんだとか、珍しいメンバーがいることを知った。

S短大には、パートナー校がD短大だけでは将来的に先細りだろうということで、私が入った年から勧誘に行った。この時、同期で一人だけ入部してくれたのが、Uちゃん。
たしか、2年の卒業時までいなかったような気がするけど、一緒に合宿や遠征には行った仲なので、名前を聞けばすぐに思い出せる。
でも、横の繋がりで連絡を取り合っていたD短大メンバーと違い、20年音沙汰がなかったUちゃんが何故?と聞いてみると、K君が審査に行ったメダルテスト(ダンス教室の生徒さんの資格試験のようなもの)に彼女が来ていて、K君に声をかけてきたらしい。
Uちゃんも市内のダンス教室で習っているんだって。
自分もそうだが、学生時代に途中でダンスをやめちゃった人が、ずっと後になってからまたやってるっていうパターンだ。
というか、ほんのちょっとだけクラブにいたなーーという記憶しかない後輩が、その後プロになったというケースも、少なからずある。
ダンスって、何かのきっかけで始めてしまうと、後をひくものなのかもしれない。

T代は、3年ぐらい前の飲み会にもやはり釧路から来てくれた。
D短大の子だったんだけど、帰国子女で、すごくきれいな子だった。
その3年前の再会が、彼女の短大卒業以来だったんだけど、余りにも変わってなくて、男子達もとても喜んでいた。
相変わらず、キレイなんだろうな・・・。釧路では資産家で知られるところの奥さんらしい。

で、もう一人、1年先輩のM田さん(♂)は、私の卒業式の写真に、他の数名の先輩と一緒に写っている。
要するに、この人たちは、1年留年したのだ(笑)
この1年上の先輩たちは、あとは皆K君と同業者なので、K君は、あまり一緒に飲みたがらない。
M田さんは、もうダンスから離れており、K君が偶然会ったとき、今度集まりがあるときは誘うから、ということになっていたらしい。

クラブにいた頃、短い間だったが、M田さんとは一緒に(ダンスの)カップルを組んでいたことがある。
成績もパッとせず、相性も良くなかったので、数ヶ月で解消になったカップルだった。
でも、卒業式の写真が物語っているように、嫌な関係で終ったわけじゃないので、M田さんに会えることは、素直にうれしい。

しかし、今回主役のRちゃんと、仕切り役のK君。
この2人の間にあったことは、結構深刻な恋愛沙汰だった。
(Rちゃんがとても奔放だったことは前にもこの日記に書いたが、クラブ内でもイワユル「兄弟」が何人か)
ま、色々あって別れちゃったんだけど、
Rちゃんよりもずっと真剣だったK君は、Rちゃんとダメになったことで、失踪して、しばらく消息不明になったほどだった。

ただ、それが遠い過去かといえば、そうでもなく、あれは何年前だったか、とにかく、「またK君とRちゃんがおイタをね」ということがあった。
その時も、Rちゃんは前のダンナと結婚していて(K君ももちろん既婚)、一時帰省中の飲み会だったんだ・・・
その後、2人は、Rちゃんが帰省しても会ってないハズ。(知らないだけか?)
だから今回は何か起こったりして(と期待しちゃいけないけど)
今でもなんか変・・・て思えるのは、Rちゃんの呼び方かな。
苗字(旧姓)の呼び捨て。
同級生の男子なら普通のことだけど、K君だけは、私や、他の女子みんなを下の名前(愛称)で呼ぶのに、なぜか、男女ともに「Rちゃん」と呼ばれていた彼女に限って姓で呼ぶ。
なんだか不自然といえば不自然だにゃ。

なーんて。
久しぶりに会う仲間との飲み会前夜に、ちょっとおさらいしてみました。

岩盤浴初体験!

2004年7月14日
今日の札幌は、11日ぶりの夏日だったらしい。
そんな中、ウワサの岩盤浴へ。

岩盤浴とは
室温40度、湿度60〜70%の中で、岩盤上に寝ること(10〜15分)を2〜3度繰り返すことにより、遠赤外線による波長で体の中まで熱が伝わり細胞や血液の活性化が盛んになり、化粧ののりがよく、美容・健康・体重減に効果を発します


米倉ちゃんお気に入りのこのサロンは、お好み焼き屋さんの2階にあり、お好み焼きを食べると入浴料が無料になり、入浴セット料金(タオル・浴衣等)525円だけ払えばいいというシステムになっている。

Mっち、米倉ちゃんを拾って、店に到着したのは丁度お昼頃だった。
計画では、1時間ほどの岩盤浴のあと、お好み焼きを食べようということだったが、「岩盤の温度がまだ低くて、1時間以上待たなきゃ入れない」ってことだったので、先に食事することにする。

お好み焼き専門店で食べるのは久しぶりだったが、1人前の量は、多分今まで食べた中で、一番多いかも。
エビや豚肉など、メニューによって具の内容は違ったが、どれにもお餅と、ざくざく切った長芋が入っていて、すごいボリュームだった。
3人寄れば、相変わらずのオモロイ話満載だったが、米倉ちゃん、今週末に、とある地域の農業青年相手のお見合いパーティーに行くハメになったということを告白。
なんでも、結婚したくて仕方ない独身の友人に頼まれて、バツイチのふりして一緒に参加することになってしまったらしい。
「まずいよ、相手はみんな真剣に結婚相手を探してる人達なんでしょ?本気になられたらどうすんの」
「うん。そうなんだ。私も罪の意識を感じてるの。でもさ、こんな40過ぎのバツイチなんて、相手にされないよね?」
「いや。みんなが40ならわかんないよ」
「そう?でも、一緒に行く友達なんか、同い年なんだけど、すごくスリムできれいなんだ」
「じゃあ、お友達の方がひやかしの付き添いだと思われたりしてね!」

40過ぎまで一人でいたのに、今更結婚なんてしたいものなのかなー?という私やMっちの疑問に、
「やっぱり一度はしてみたいらしいよ」と米倉ちゃん。
日頃ダンナさんへの不満が多く、「早く離婚したい」が口癖のMっちが、「大していいもんじゃないのにね」なんて言うのに、
「でも、結婚して専業主婦になって、昼間からこんなところに来られる身分も悪くはないよね」
と、ちょっと本音っぽいことを言ってしまった(笑)。
気乗りしない米倉ちゃんに、「まあ、自分がどこまで通用するか試しておいでよ」なんて無責任なことを言ったりしてるうちに、丁度良い時間になったので、目的の岩盤浴へ向かう。

受け付けで、まだ本来の温度まで上がっていないので、普通は70分のところ、100分まで延長していいと言われた。
通された更衣室はとても新しく清潔で、かなり安心した。
4人用の部屋だったので、私達で貸切状態。
そこで、上は全部脱いで、浴衣と短パン(これもセットに入ってる)に着替え、いざ岩盤部屋へ。

中はサウナほどの熱気はない。
床に丁度人一人寝そべるぐらいの岩盤と、竹の枕が4人分並んでいた。
岩盤にバスタオルを敷き、枕にフェイスタオルを載せて、まずはうつ伏せに5分寝る。その後仰向けになり10分。そして水分補給の休憩5分・・・っていう1セットを繰り返すのが、正しい入浴法らしい。
1回目に仰向けになっていくらも経たないうちに、ZZZ・・・とイビキが聞こえる。
米倉ちゃんだ(爆)
カラオケに言った時も、途中で爆睡して、最後まで起きなかった。
彼女は疲れてるのだ。お母さんの介護に、バイト。
その上、先週土曜のエアロスミスで満員御礼のドームで仕事した翌日に、定山渓のマラソン大会に参加し、雨の中16キロ完走したという。
「走ってる時って何考えてるの?」と訊くと、
「『辛い』『やめたい』そればっかり。でもね、完走したら、すごく気持ちいいんだ。そのためだけに走ってるの。バカでしょ?」
いや、すごいっすよ、まじで。
・・・頭を上げて米倉ちゃんを見ると、浴衣の裾をはだけて、膝を立てて、短パン姿の下半身をあらわにしていた(笑)

しかし、岩盤の威力はすごい。
タオルも浴衣もぐっしょりになる程、汗が出る。
私は普通のサウナって長くは入っていられない。5〜10分が限度かな?
それに比べると、時間を忘れると30分いられるぐらいの温度なのに、知らないうちにじっくりじわじわと汗が出ている。
結局、100分なんて全然無理で、正味1時間ほどで切り上げることにした。
それでも、もう十分なくらいぐったり。
普通のサウナなら、シャワーで汗を流したいところだけど、岩盤浴で出た汗は、そのまま流さないっていうのがミソだそうで。
ほんとに、ウソのように、ベタつかず、さらさらしている。
顔にかいた汗もそのままにしておくと、美容効果があるそうで。
そんなわけで、私たちは、今日は最初からスッピンで通していた(笑)。
確かに肌なサラサラで、スベスベ。
ぐっしょりになったタオルや浴衣を、使用済みのカゴに入れるとき、ふとMJさんの「おやぢ汁のしみついたしょっぱいサウナマット」のことを思い出し、
「熟女汁タップリの浴衣、どこかで売ろうか?」と言ったら、大いにウケていた(笑)。

外に出ると、涼しい風が吹いていて、3人同時に「わー、気持ちイイ!」と声を上げた。
細胞が活性化され、老廃物が排泄され、若くなったはず。
「存在自体が老廃物」なんて言われたくないから、また行きたいな〜。
そういえば、娘が修学旅行で買ってきたおみやげ。
お小遣いをもらった両方のジジ・ババ家には、箱入りせんべい(いかorかに)。
夫にはイルカ、私にはクリオネのストラップ。
あと、従姉と自分にはたっぷりお金をかけており、4000円、きれいに使ってきていた(笑)。
でも、なんだかとてもうれしかった。
初めてだったから、娘からおみやげもらうの。

そのおみやげを届けに夫の実家に行ったら、義母は旅行中で不在で、義父が一人でビールを飲んでいた。
ゲ。お夕飯の仕度、大丈夫だろうか?
恐る恐る聞いたら、自分で好きな刺身などを買ってきたし、ご飯もあるから、と言う。
以前は、それでも「それが私の役目」とばかりに何か作って、自分達も一緒に食べる・・・なんてパターンもあったが、そういうこと、ホントにしなくなったなぁ。
あ。でも、キッチンの汚れ物は片付けました!(←当たり前です・笑)

ガストの「栗原はるみコレクション」の引き換えが今日までで、手元にある券を交換したかったのだけど、交換だけっていうのもねぇということで、夕食はガストになった。
結構久しぶりだったりする。
会計の時、今日の食事分も合わせると、券が9枚になった(5枚で交換)。
「あ、惜しい・・・」と独り言を言ったら、「もう一つ差し上げますよ」と、男性スタッフがサービスしてくれた。
ラッキー。うれしい。
「マグ&プチトレイ」が最後の一つだと言われたが、その店で平日バイトしているママ友のNちゃんが、「余ったらあれをもらうんだー」と楽しみにしてたんだよね。ごめんよ(笑)

参院選の投票は、夫の実家に行く前に済ませた。
で、CSのF1中継はサブのTVに追いやり、「踊る大選挙線」をちらちら見ていた(TVタックルの面々ですな・笑)
民☆躍進。
そういえばさー。
民☆支持にまわった某宗教団体の方から、「よろしく」というメールが来て、放っておいたら、3連投されますた。
信念は迷惑メールも厭わずってか?ますます放置したけど(笑)
ま、そういう方たちの働きのお陰ですかネ。
明日、PTAの会議でその人と会うのが、ちょっと鬱な小心者(笑)
いや、ここに限らず、選挙の度に頼まれることはあるけど、学校の関係では今までは無かったので、ちょっと(かなり)引いちゃった。

しかし、この番組、タイトルにBGMに演出、あざと過ぎるって(怒)
・・・エンディングに織田くんの歌!やられた(脱力)

雨降りなんです

2004年7月10日
6月は、毎日暑かったのに、7月に入ってからはずっと天気が悪い。
でも、本来梅雨のはずの地域が連日猛暑なのだそうで。
私も関東暮らしの頃は梅雨は苦手だったけど、それ以上にカラ梅雨とその後の水不足が怖かった。
私のいた横浜は、水系がそうそう枯れるところではなかったけど、千葉の方なんて時間給水なんてことにもなって、大変そうだなーと思っていた。
水不足の時って、何もかもが節水モードで、必要最低限の水しか使えなくて、非常に落ち着かなかった。
普段当たり前にあるものが無い、しかもそれが「水」っていうのが、ある意味恐怖だった。
そんなことを思い出す。
北海道で暮らしていると、水不足の心配などまずいらないけど、それでもこの夏、日本中が水の心配をしなくていいことを願っている。

で、今日も雨・・・
気温も低い。ま、家にいる分には丁度いいけど。
今日はドームでエアロスミス(ですね、MJさん)。
夫は当然、いそいそと出かけて行った。
ずいぶん早い時間から警備の人が立っていた。
そして家の周りはお決まりの渋滞になっていて、買い物に行く機会を失ってしまった。
仕方ない、まったりしてようかな。
またずいぶん長い事書かないままで、7月に突入してしまいましたが。

7日・8日は娘が修学旅行だった。
日程は偶然MJさんのところと一緒だったみたい。
送り出す朝、MJさんは6時半起きと書いていたが、うちは学校集合が7時過ぎだったので、5時起きでした。ははは・・・
行き先は道南。多分この辺の小学校の修学旅行としては一番遠い行き先じゃないかなぁ。
娘とこんなに遠く離れ離れになるのは初めてのことで、めっちゃくちゃ寂しかった。

まあ、無事送り出し、時間無制限の私の長い1日が始まった。
まず、シルバー講師の友人が裏参道で作品展をやっているので、Mっち、米倉ちゃんと見に行く予定を立てた。
午前中に米倉ちゃんの車で迎えに来てもらい、藻岩山の山麓のレストランで早めのランチ。
前にY子と行った、森の中にテラスがあるイタリアンの店で、11時から営業していたのでそこにしたんだけど、先客の主婦グループが、同じ学校のよく知ってる人たちだったのでびっくり。
こんな場所で会うなんて〜、である。
私達3人揃うのは5月の焼肉・カラオケ以来だったし、早朝送り出しの大任を果たした安堵感から、おしゃべりも食も進み、楽しい時間を過ごした。

友人のシルバー作品展会場は、裏参道のおしゃれなギャラリーだった。
他の講師仲間と一緒の展示会だったが、シルバーといっても、作り手によって、様々だなーと感じた。
その日は札幌ドームで日ハム戦があり、Mっちは観戦、米倉ちゃんはドームでの仕事があったので、ギャラリー滞在は40分ほどで、先に帰って行った。
私はそこに更に1時間ほど残り、友人講師とおしゃべりしていた。

その後、地下鉄で大通りへ。
タバコが吸いたかったので、スタバを通り越し、馴染みのカフェで一服。
長居するつもりはなかったのに、少々込み入った内容のメールを受け取ってしまい、何度かやりとりするうちに時間が結構経ってしまった。
店を出て、向かった先は、セール真っ只中のデパート。
7月に入り、あちこちでセールが始まっていたのに、この日まで、じっとガマンの子で過ごしていた。
修学旅行の細々したもの(ゲロ袋やらウエットティッシュやら、その他携帯に便利そうな色々)を買いに、何度か100均に足を運びながら、物の値段って一体・・・?なんて哲学してしまったが、
さすがに真っ当な(笑)物に触れたいという思いに駆られていた。
まあ、しかし、所詮はそんなには買えない状況下で、時間だけはたっぷりかけて、思う存分ハシゴし、最低限の欲求だけは満たせた。

夕方、一旦帰宅。午前中できなかった家事を大急ぎで片付け、夜、夫を迎えに会社まで車を走らせた。
せっかく娘のいない夜だから、大人の時間(?)を楽しむため。
今回は、夫の友人(双子の兄弟)が東区でやっている居酒屋に初めて連れて行ってもらった。
ここは、こだわりの店として知られ、あるサイトでも上位にランキングされている。
地鶏を使った料理などメニューが豊富なこと、何より、焼酎・日本酒の種類がすごい!
こういう店では、ビールなんかどうでもよくなる(笑)
さっそく、今をときめく芋焼酎、オススメのを聞いて、まずはお湯割で注文。
焼酎を飲み慣れてるわけではないので、緊張しつつ口に運んだ。・・・んめぇ〜〜!!
料理も、鳥串、鳥皮のから揚げ、地鶏のカルパッチョ、あと何だっけ、色々頼んだけど、どれもすっごくおいしい。
こういう大衆居酒屋的な店って、ずいぶん久しぶりだけど、いるだけで楽しくなる。
若い頃は、なんといっても、こういう店でいろんな日本酒を飲んだんだよなぁ・・・。
で、2杯目からはロックで注文。
大将自ら「値段は気しないで(サービスするから)、いい物飲んで」と極上のを選んでくれた。
グラスに口をつけて、更に感動!!
もう、もう、舐めるように味わってしまいました(笑)
運転手である夫は、ソフトドリンクのみで付き合ってくれた。
ご機嫌で、11時近くに店を後にした。

早朝から目一杯活動していた私は、焼酎の酔いで気持ちよく寝られた。
長い七夕の1日が終った。

牛一筋

2004年6月20日
父の日のプレゼントを、夕方夫の実家に届けに行ったら、「そーだったらいいのにな♪」と思っていたとおり、夫母の方から「何か食べに行きましょう」ということになり、焼肉を食べに連れて行ってもらえた。
外でごちそうになるのは久しぶりだから、まいいかな。

今日行った焼肉店は、先月、米倉ちゃん、Mっちと、夜バージョンで食べに行ったお店。
その時、米倉ちゃんがすごくお得な「パスポート」なるものを持っていて、ある程度食べて飲めば、結構なキャッシュバックが受けられるってことで、飲むぞ食うぞーーってハイテンションで乗り込んだ。
さっそくジョッキを空けて、色々運ばれてきた中に、「海鮮盛り合わせ」があった。
多分、これを注文したのは私だ・・・。
でもこれが大失敗で。
考えていた以上にイカの量が多かった(汗)
エビもホタテもあったけど、食べても食べても減らないイカを口に運んでるうちにお腹の調子があやしくなってきた。
間もなく、耐え難い腹痛に襲われて・・・。
普段人一倍胃腸が丈夫な私が、あろうことかトイレに篭ることになってしまったのだった。
席に戻って「もう大丈夫」と言っては、結局トイレっていうのを繰り返し。
せっかくの焼肉屋さんで、お肉を食べた記憶がほとんどないまま、店を出ることになってしまった。
あとの2人にも、ほんとに申し訳ないことをした。
(でも2人とも悔いを残さないだけ食べて飲んだらしいが)
その後、「帰った方がいい」という二人に「絶対帰らない!」と懇願して、カラオケに行った。
1曲歌ったら、苦しめられていた腹痛からウソのように解放された。
何だったのだろう・・・。

ま、そんな経験を踏まえて(笑)
今日はとにかく余計なものは頼まず、「牛」一筋で。
なんか、「壷」に入った、とても味の良いカルビをお父さんもお母さんも喜んで食べてたので、壷ばっかり頼んでた。
つい、「色々食べなきゃ」って思いがちだったけど、やっぱ肉って決めたら肉だよなーと再認識。
完全にリベンジを果たせた。

そういえば、その昔、お父さんは地方出身の北大生だったので、もしかしたら「恵迪寮」(赤フンの聖地・笑)にいたのかも?って期待しながら聞いてみたら、父親(夫の祖父)の勤めていた銀行に、子弟用の学生寮があり、そこにいたと言われた。
残念。でも、ススキノにあったと言うその寮の話もなかなか面白かった。
「よさこい」で赤フンに魅せられなければ、私の方からお父さんの学生時代の話を聞くこともなかったかも。
和やかな父の日だった。
大恐慌だと騒ぎながら、実は先週からダンス教室通いをまた始めている。
それはそれ、これはこれ。なんて・・・汗

1年近く間が空き、一緒に通っていた友達も遠くに行っちゃったけど。
それでもやっぱり、久しぶりにシューズを履いてフロアに立つと、やるぞ〜!という前向きな気持ちになれた。
約2年かけて踊りこんだルーティンは、全く頭にも体にも残っておらず(汗)
先生K君も同じことで、また新しく振付けてくれることに。
体は動かず、一人で体重も支えられずだったけど、今回はずごーーく、ルーティンの覚えが早い!
何度習っても覚えられなかったタンゴまで、「あれま、ここまで進めたか」とK君もびっくり。
なんかうれしいな、前の経験は紛れもなく生きてるんだ〜。

とはいえ。
去年買ったレッスンチケットが残っているので、また通えてるわけで、それがなくなってまた新たに・・・となると、それはどうなるかわからない。
ほんとならチケットは半年で有効期限が切れるところ、K君は「大丈夫だから、またおいで」と誘ってくれていた。
その好意に応えるには、通い続けることが(次回もチケット購入。ン万円)1番なんだろうけど。
はぁ〜、どう考えても無理っぽい。
ま、今通える間は、1回1回のレッスンを大切にしよう。

****

ダンス教室のあと、あちこちハシゴして、帰ったのは午後をだいぶまわってた。
疲れと西日で睡魔に襲われていたところに、電話が鳴った。
「私よ〜」 (ーー;)夫の母だ・・・
「あ、先日(運動会のこと)はどうもありがとうございました」
「どういたしまして〜。あのね、きのう東京から帰ってきたんだけど、おみやげあるの。取りに来て」

ふーーん、東京行ってた?知らなかった。
はぁーー西日の中運転するの嫌なのよねーーと思いながら、娘と一緒に夫の実家に。

「東京に行かれてたんですか?知りませんでした」
「そうなのよー。歌舞伎のチケットが取れたのでねぇ。エビ様の襲名披露公演、見てきちゃったの♪」
エビ様??ああ、イチカワエビゾウね。
「チケット取るの、半日がかりだったのよ〜。それでも2階席だったんだけど・・・」

で、
それに合わせて飛行機とホテルを取り、夫の両親・妹で行ってきたんですって。
歌舞伎見物だけじゃなく、
横浜に住む、夫の弟夫婦と、弟嫁のお母さんも一緒に中華街でお食事してきたんですって。
2泊してきた最終日は美術館巡りもしてきたんですって。

歌舞伎座みやげはエビ様襲名記念のエビせん(笑)
中華街みやげは高級ウーロン茶葉。
東京みやげは江戸ごぼう(これは大好き。夫も東京行ったら必ず買ってくる)
美術館みやげは絵葉書。
以上をありがたく頂く。

よーござんした。お母さん、とってもご機嫌だったし。
エビ様の美しさにすっかりやられてきた様子。
私的には、ヨン様よりはついて行ける(笑)

それにしても、我が家に吹き荒れる恐慌のことなど、当然知るはずもないんだよね。
去年の沖縄のあとも今回も、「安いんだから行ってらっしゃいよ」みたいなことを言われる。
行けないんだってば、それが。
登別だろうと(笑)、今は無理なのよーー(T_T)
でも、夫の両親の経済力が今は頼もしい。
何とかしてもらうとかじゃなく、私らが親の経済的心配はいらないってことで。
Y子の言う、「世の中平等」ってのがこれかな?(笑)

大恐慌

2004年6月15日
まーほんとに、真っ只中ですよ〜〜(涙)
ボーナス支給日が、こんなに嬉しくないなんて。
わかっちゃいたけど、実際の数字を見ると、やっぱ気持ちは穏やかではなくなる。

総報酬制でボーナスが目減りしたと大騒ぎしたのが1年前。
でも、今思えば、あんなのは「へ」だった。
それ以前と比べると、もう40万ダウンだよ>MJさん
それが、前回の冬と今回と。
2期連続じゃ、どーにもこうにも。
あーそうそう、春にもらってたお手当てもなかったから年間100万超のマイナスかーー?
(ほんのちょっとは毎月の給料は上がってるけど)

なのでね、私が欲しいもの我慢するとか、ちょこっとパートに出るとか、そんなんじゃ追いつかないのだ。
これまで少ない貯蓄を切り崩して耐えてきたけど、それにもいつか限界が来る。
追いつかないとは思っても、倹約に勤しむか仕事を探すしかないのかなぁ。

この前、「冬と同じらしい」と今回のボーナスについて言ってきたとき、「えー!うそー!!なんでー!!!」と狂った私に夫は
「仕方ないだろ、会社の業績が上がってないんだから。出せないものは出せないんだ」と、
文句を言う私が悪いような言い方をしていた。
でもさ、そのつい数日前まで、能天気にパソコンの買い替えの話してたのは誰よ?
春にビデオカメラやらプリンターやら買った時に当然のように「ボーナス一括」って言ったの誰よ?
会社の業績を語るなら、そこで管理職をやってるなら、もっと危機感持てよと言いたいね。
冬のボーナスが、「1回きりの底値」だと信じていたのは、私だけじゃないのだ。
会社にも頭に来てるが、この男も何とかして欲しい。
ていうか、こんな非常時にも自分の口座の取り分はしっかりキープしてるのかぁ。納得行かない!

****

きのう、Y子から電話があった。
約束の「誕生日スペシャルランチ」の店を替えたいということだった。
高層ホテル上階の日本料理店から、シティホテル1階のバイキングに。
「え、なんで・・・?」
そりゃびっくりだ、あんなに楽しみにしていたのに。
Y子のところも、事情が急変したというのだ。
うちのような収入激減ではなく、支出が激増してしまったのだ。
もう1年以上、Y子の夫の実家の家業が思わしくなく、ずっとY子の夫が援助をしていたのだが、今度は実家の改築費用まで出すことになってしまったという。
(お父さんが倒れて車椅子生活になったので、バリアフリー住宅にするため)
この「夫の実家への援助」について、これまでY子は、とても寛大だったので、「偉いなぁー、私には無理」と思っていた。
毎回の額を聞いたらすごかったもん。
しかし、今回は額がこれまで以上に大きな上、Y子の所にも、多額の不動産取得税の請求が来ている。
当然、ローンの支払いだってある。
そして「もうこれを渡すから。これでやってくれ」と、それまで夫が管理していた通帳と印鑑を渡されたという。
そう、これまでY子は、十分過ぎる「生活費」を渡されるだけで、大きな支払いや税金などは夫任せだった。
初めて目にした現実は、余りにもY子の想像を越えていたらしい。
「私を『奥様然』とさせておくために、あの人、ほんとに無理してたんだわ・・・」とY子は溜息をついていた。
「もうね、知ってしまった以上、私も今までみたいには行かないわ。ああダンナに守られていたんだなってほんとに思った」

Y子の話を聞きながら、私は少しおかしくなった。
だって、私達フツーの主婦は、そんな現実、とっくに知ってるけど。
やばい現実を知っていながら、それでも私はそこの日本料理を食べる気満々でいたのにさ・・・
やばさだって、絶対うちの方が上だと思うんだけど(苦笑)
「でもランチでほんの何千円か倹約したって、何も変わらないんじゃない?」
って私が言うと、
「そうじゃなくて。もう、そういう場所に行く気がなくなったの」だって。
まあ、相当ショックが大きかったのだろう。
苦労知らずの箱入り奥様にとっては。

でもY子の偉いところは、だからと言って、夫を責めないところかな。
それどころか「今までは守られていた」なんて、殊勝なことを口にする。
私だったらまじで大暴れだ。
当然自分達がいつかは使えるはずだった大切な資産が、すっかり夫の親に流れていたなんてさ。
絶対絶対、夫やその両親を恨んじゃうだろうな。

「ほんと、つくづく、世の中って平等なんだって思ったわ」
「なんで?」
「だって、たくさん入るとこからはそれだけたくさん出て行くってことなのよ」
うーーん・・・?
じゃ、少ししか入らない我が家は、出費も少なくて、済むんですかね(笑)
だといいんだけど。
ゆうべは残念なことにYOSAKOIファイナルを見逃してしまった。
他局じゃ、もう結果を知る事しかできなくて・・・。
ファイナル進出のチームははわかってたけど、子供だけのアクロバットチーム、「AJG KIDS」が今年は選ばれなかったのが残念だった。
姪は今年も、日中は父とあのチームを追っかけて応援してたのに・・・。
まあ、大賞などの上位は順当じゃないかなぁ。
圧巻だったもんね、天舞竜神は。
北大チームは、あの辺をずっとキープしてくれれば嬉しいです。
>MJさま

あ、そうそう、北大チームが最初に歌っていたのは、北大恵迪(けいてき)寮の寮歌だそうです(とっくに知ってる?)

***

土曜の夜は、娘は実家にお泊りしたので、夫と出かけたが、何を食べる〜?とフラーっと走っていて偶然見つけたのが人気ラーメン店「てつや」の新しい店舗。
娘が一緒だと、どうしても並んでまで、後ろに並ばれてまで食べる気はしないから、こういう時に偶然見つけてうれしい。
深夜11時過ぎの郊外店だというのに、満席で10分ほど待たされた。
でも、実は待った後のラーメンほど私は好きなのよ♪
丁度涼しい夜だったので、おいしかったよ、みそラーメン!
スープまで完食して、満腹。

日曜朝、まだ寝てるときに母から電話で、「娘はこのままいとこの家に行くから」と。
父が用事で旭川まで往復するので、途中で兄の家まで姪を送ることになっていたのに便乗して行き、帰りも父が乗せて来てくれるからと。
あーそうなんだ、よろしく・・・とまた寝入ったが、
考えてみると、ちょっと夜YOSAKOI見物しただけで、翌日までぐーたら寝ている私と違い、
父は土曜朝から姪に付き合い、札幌を北から南まで(笑)移動し、夜も私達を送ってくれて、
その翌日に朝から日帰りで旭川往復なんて。
タフだなーと同時に申し訳ないなーーと思った。
うちの夫なんて、ぜーっったい無理だね。

夕方いとこの家から戻って来た娘。
マンガの本をどっさり借りてきていた(溜息)

赤フンに大興フン!

2004年6月12日
夕方から、中1の姪と娘を連れて、YOSAKOI大通り会場に出かけた。
雨が小降りながら降っていたので会場近くまで父に車で送ってもらって、雨具も用意していたが、着くと雨はすっかり上がっていた。

パレード南コースでうまいこと最前列をゲットし、娘達は座らせ、私はすぐ後ろに立った。
目の前を邪魔するものは何もない。
このところテレビでしか見ていなかったYOSAKOIの、生の演舞を間近で見ると、月並みだけど、その迫力に圧倒される。
テレビ的には、構成人数の少ないチームはちょっと貧弱に見えてしまうけど、生で見ると、踊り子達はそんなことに関係なく、本当に一生懸命踊っている。
まじ感動。胸が熱くなる。

何チーム目か見てるとき。
後方に、見覚えあるオレンジ色の法被の軍団が見える。
「縁」と染め抜いた旗も。
おおあれは。
北大赤フンチームじゃないか!!!

男子学生が衣裳を脱ぎ捨てて赤フン一丁で「どうだぁぁ!」と乱舞するパフォーマンスは、去年から私のツボにはまりまくり。
生で見たいなーと思ってはいたが、狙ったわけでもないのに、たまたま行った会場で、しかも最前列で見られるなんて。
なんて(×3)ラッキーなのだろう。

そして彼らは私の目の前に立った。
踊りの最初に北大の応援歌か寮歌のようなものをみんなで歌うんだけど、私の周りのギャラリーが北大生かOBなのか、声を合わせて歌っていて、まさにライブ会場にいるかのような盛り上がりよう。
去年のファイナル進出チームだけあって、踊り自体、ダイナミックで激しく、クオリティも高く見応えがあったが、それ以上に踊ってるみんなの顔がイイ。
男の子も女の子も。目が合うと、しっかり応えてくれるのが、そりゃーもう、うれしい。
「どっこーい、どっこーい、どっこいしょ〜〜」とこぶしを振り上げ歌うところは、当然私もこぶし振り上げ大合唱(笑)
「ヤーレンソーラン」も、もち大合唱(爆)
そして、いよいよ、クライマックス。女子の後ろで「準備」する男子たち。
キターーーッ!!法被をパーッと脱ぎ捨て、弾ける
赤フン、赤フン、赤フン・・・・・
その堂々たる姿に沿道からも大喝采。
もちろん私も「かっこいい〜〜!!」と織田ライブ以来の黄色い声を出してしまう(恥)
大興奮のうちに、彼らの演技が終った。
観客に礼をして次の地点に向かう踊り子たちの後ろを、脱ぎ捨てた衣裳を拾う係のメンバーが追う。
数十メートル先の次の地点に着くまでにまたあれを身につけるのだ。
私は娘たちに、「ちょっと行って来る」と言い残して、次の地点まで走って「追っかけ」。
人気チームだから、そこではもう人の頭の間からしか見られなかったが、それでもこぶしをふりあげ「どっこーい、どっこーい、どっこいしょ〜〜」(笑)
ほんっとに、楽しませてもらった。
あれだけ激しい踊りの連続の上に、着たり脱いだりを繰り返している赤フン軍団の疲労ぶりは、かなりのものだっただろう。
ヘトヘトだけど、もうどうにでもなれぇ〜〜というテンションの高さって、すごいパワーなんだろうな。

その後、ステージの無料観覧席にもぐりこみ、王者『平岸天神』の絶品演舞もしっかり堪能。
今日はほんとにラッキーだった。

南北パレードコースでは、華やかなイリュージョン。
踊り終わってほっとしている踊り子たちで賑わう大通り公園。
仲良く記念グッズを物色する娘と姪。
ちょっと涼しい、雨上がりの湿った夜。
YOSAKOI2004は、私には、ちょっと特別な思い出になった。(まだ終ってないけど・笑)

最近の私

2004年6月8日
運動会の朝にぼやいたっきりになっておりましたが。
その運動会が終ってもう1週間以上も経ったので、その時の不愉快なことはもうどうでもよくなってしまった(苦笑)
まぁ、私は夫の母に対しては、世界一心の狭い人間であるということを、毎度確認させられてしまうってことですね。

さて、最近の私・・・
(^o^)なこと
以前からやりたいなぁと思いながらできないでいたオークション出品に挑戦し、ポチっと収入を得た(笑)
『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』のDVD(赤)に数日張り付いていた。
本編+コメンタリー(副音声)3本。これだけでも全部見ると、10時間弱。
タイムリーにフジ721でも『MOVIE 1』をやってくれてたし、久々に織田づくしの日々を過ごした(笑)

(ーー;)なこと
しかし、買い物もした。
ネットでも、ファミリーセールでも、ショップでも。
結局やったことのなかったカード払い先送りなんてことをしてしまっている。
やばいよなと思っていた矢先、「夏のボーナス」について、夫より話が。
昨年冬並みの支給であるらしいこと。(私は昨冬のボーナスを「寸志」と呼んではばからなかったが)
どうするかなぁ。壊れる気力も無い。

****

きのう、親友Y子と予定外のランチをした。
ほんとは来週会うことになっていて、そのことで電話をし、話してるうちにお互い街に行くってことを知り、会おうかとなった。
先月会って以来だから話も結構溜まっていたし。

来週はY子の誕生日なので、どこでスペシャルランチをするかそろそろ決めようかなと思って電話したのだけど、Y子はもう決めていた。
去年私の誕生日に2人でランチしたのと同じホテルの20何階かの和食懐石の店だという。
値段もスペシャルだが、それが私たちの間の決め事で、とにかく、おしゃれしてぜいたくな食事をする。っつーもの。
たっぷり自分にお金と時間を使ってキレイにし、おいしいものを食べるのが、一番の幸せなんだって。
なので、その時間の共有が彼女にとってプレゼントになるんですと。
まあ、年齢が増えるという憂鬱な日でも、そんな決め事があると、楽しみになることは確かだよね。

てなわけで、来週に備え、きのうのランチはお手軽な中華にしたが、話が終らなくて、カフェに移動して更に1時間おしゃべり。
お互い用事があったので、なんとか2時に別れた。
別れたあと、私はコンタクトレンズを買いにいつもの店に行ったら、「移転しました」という張り紙が。
ハガキの1枚でもよこせよ〜(怒)
移転先は、そう離れていないファッションビルだった。
久しぶりだなーここに来るのは・・・とそのビル内に足を踏み入れると、何とも違和感が。
もともとビル全体が若者向けではあったけれど、改装後は更に「30代ちょい無理、40代ありえない」という雰囲気だった。
ふん!と思いつつエスカレーターで目的の「○コンタクト」に行くと、待合室にいるお客まで、そっくりそのビルの客層になっていた。
うーーむ、次回から戦闘体制で行かなければ(笑)

****

明日から札幌でYOSAKOIが始まる。
1年て早いなぁ。

4:00

2004年5月30日
運動会当日の朝4時です。
今起きたのか、ずっと起きてるのかはさて置いて・・・(汗)
さあ、娘の最後の運動会。
今年もお客様いらっしゃいますよ、夫の両親と妹ご一行様。
揚げ物に追われて油臭くなり、気絶しそうな数(私にとって)のおいなりさんを作る私が、確実に数時間後にいます。

今日は私にとって長い1日になりそうだ・・・
byジャック・バウアー

5月20日の日記

2004年5月20日
またサボリまくりで、唐突に現れましたが(汗)
最近はまぁ、ほんとにぬるま湯な日々です。
とにかく自分の記録の為にも、書いてない日記をボツボツ書きたいなーとは思ってるけど、皆さんの日記を読んでは、いろんなことを考えさせてもらってる毎日です。

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