居候新入社員

2003年4月1日
新年度始まりの日と言われても、家にいるだけの私にはピン
と来ない。
今日は可燃も不燃もゴミ出しのない日だったので、図々しくも、
目覚ましを止めた後、またベッドにもぐりこんだ。

そういえば、会社勤めのころは、毎年この日は、夜、新入社員
を迎える会とかいって、普段散り散りの社員が一同に会する日
だった。

霞ヶ関ビルとか虎ノ門パストラルとか、そういう会場で、立食形式
のパーティーが常で、ステージ上の金屏風前に並ばされた新入
社員をさかなに、楽しく飲む日だった。
そして2次会以降は、気の合う職場仲間や、この日のために札幌
から出張してきた人たちと夜の東京に繰り出す。
そんな日だったなぁ。

自分が社会人として初めて迎えた4月1日の思い出も強烈だ。
その日は川崎のいとこの家から神田の会社への初出勤となった。
実は、会社が私に借りてくれた、東横線菊名のアパートに、まだ
前住人が住んでいて、私はそこに越せないまま入社の日を迎え
たのだ。
変な話なんだけど、その前住人が、直前になって、「4月の最初の
週末まで転居を待って欲しい」と言い、それを不動産屋が「いい」と
言い、またそれを、会社の総務担当までもが「いい」と言った。
私は入社4日前に東京に着いてから初めてそれを知らされた。
その晩だけ、銀座のホテルを取ってくれたが、翌日、菊名に会社
の人に伴われて行った時、恐るべき事実を知った。

その不動産屋は、「その間の家賃はいらないから(当然じゃ!)、
とりあえずここに住んで」と、同じく菊名にあるアパートに、私の
荷物を運び入れてしまっていた。
その期間の代わりのアパートを用意するとは聞いていたが、
そこは、それまで親元でぬくぬく暮らしていた私にとって、
とても住めるような物件ではなかった。
共同玄関。共同トイレ。住人は、男ばかり。そこの4畳半一間に
たとえ1週間でも、住めなかった。

私は、半分泣きながら、菊名の公衆電話から、川崎のいとこに
電話した。正確には、いとこじゃなく、いとこのお嫁さん。
年長のいとこの奥さんを、私は「ねえさん」と慕っていた。
いとこ一家はその2年ほど前から川崎に住んでいた。
私がそのとき頼れたのはその人たちしかいなかった。
「いいわよー、いらっしゃい。そこ、菊名?それじゃ、今から説明
するから気をつけていらっしゃいね。」

突然のことだったのに、いとこ夫婦は、快く私を引き受けてくれた。
しかし彼らは子供ふたりと4人で、札幌では考えられないような、
びっくりするほど狭い借家に住んでいた。
2階建てだが、居間にタンスを置かなければならないような間取り。
そんな中、子供部屋の2段ベッドの下段を私に与えてくれた。

私と一緒に菊名に行ってくれた女性社員は、総務課長だった。
彼女は、私とあの共同トイレを一緒に見て、事の重大さに気付いて
私のような女の子が住む場所ではないと思っていたようだ。
そして、「不動産屋さんにキッパリ断るべきだったわ」と、すごく
責任を感じている様子だった。
私が、あそこには住めないので、川崎のいとこの家に世話になる
ことにしたと伝えると、「これは全部私の責任。いとこの方に申し訳
ないから、本来のアパートが空くまで、私の所にいらっしゃい」
と言われてしまった。
その女性課長は、独身で、一人暮らしだから気兼ねはいらないから
と。最近広いマンションに移ったばかりで、部屋も空いているという。

私も、確かにいとこ夫婦の所は、気詰まりでもあった。
いとこは良い人なんだけど、気の荒い大工の棟梁で、何かというと
家族に当たり散らす人だった。いとこのイライラは、私のことも原因
だろうと、かなり気を遣っていたからだ。
そんなわけで、今度はその女性の上司に甘えることにした。
初出勤のその日の帰りから、女性上司の家に行くことになり、私は
大きなバッグを持って、殺人的な混み方の朝の小田急線に乗った。

そして、居候新入社員生活が始まった。
つづく。


★葵凛★さま。
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