先生の涙
2003年3月20日長い一日が終わり、私の足は筋肉痛。
午前の役選会議、例によってギリギリに家を出た私は、久々の
「マジ走り」。
またしつこく降った雪のせいで足場は悪いし、北風ピューピュー。
でも休むことなく走り続け、ギリギリセーフ。
筋肉痛は、絶対、このときのマジ走りのせいだ。
前もって今日の会議の内容を知っていたのは委員長以外は
私だけだったみたい。
委員長がケーキなどを用意してきたのを見て、「あら?これは?
もしかしたら活動費消化?ってことはおしまい?決まった?」と、
みんな声が上ずっている。
間もなく先生が現れ、「会長決まりました」宣言。
きのう、やっと、ということだった。
最終的には、校長・教頭と3人で説得に当たったそうだ。
そうでなければ、やっぱりだめさ。
まーいろいろあったけど、今年度中に決まって、めでたしでした。
学級代表の集まりである、役選委員。
当然、私のほかにも今日の保護者会に備えて準備がある人がいて、
慌しく解散となった。
打ち上げは、4月の総会で正式に役員を発表してからやるらしい。
ゆうべは、パソコンでの作成に時間かかっちゃったな。
「○○先生ありがとうございました。
××小学校×年×組 児童・学級PTA一同」
これに、きれいなイラストを添えて印刷するだけ。
しかし、この私ときたら、字体・色・イラスト・配置。
すべてに悩み、迷って、パソコンの前で動けないでいた。
おまけに出力する紙も、「お?こっちがキレイじゃん」みたいに
またいろいろ試すし。
万事この調子。ラッピングも、リボンも。
暇人?ていうか。まー、凝り始めるとキリが無いから困る。
最後に、自分から先生へのメッセージに、娘の写真を使おうと
印刷したら、黒のインク切れで、髪も目も白くなってしまった。
写真は印刷済みの手持ちのものを使ったが、その前の作業で
インク切れにならなくてよかった〜。
役選後、家に戻ってからも、まだやることが残っていて、
(きのうの日記に今夜のうちにやるって書いたのに)
昼食もゆっくり食べられなかった。
そして、最後の保護者会。
集まりもまずまずで、最後の先生の話に耳を傾けた。
前年度末、本来なら持ち上がりの学年だったのに、児童数の関係で、
学級減・クラスも解体になることがほぼ確定していて、理不尽な別れに
しんみりウルウルになりがちな保護者会だった。
それが、新年度が始まる直前に転入生があり、奇跡の大逆転で
めでたく、クラスも担任も持ち上がりになった。
今回も、ギリギリまで学級数のことはわからないが、とにかく担任の
先生とはお別れで、クラスも解体。
去年と違って、わかっていたことだし、しんみりしても仕方ないから、
明るくドライに行こうと思っていた。
ほかのお母さんたちも、先生のおやじギャグに付き合いよく笑っていた。
なのに、あれ?先生、たまに言葉に詰まる。
あれ?声が震えてる。
あれ?あれ?目に光るものが・・・。
それはわかるかわからないかの小さな変化だったけど、一番近くに
いた私にはわかってしまった。
ベテランすぎて、担任を持ってるのが不思議なほどのお年。
偉くなってないってことは、「何かあったから」なのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
確かな愛情で、子供達と接してくれた。いつも余裕があった。
お年の上に人相が悪くて、一部の女の子たちに敬遠されてたけど、
そういう子たちさえ、上手にまとめて指導していた。
若い先生が、受け持った子供達や保護者との別れに涙するって
いうのはわかるけど、こんなベテランの先生が・・・。
去年は先生は全然平気そうだったのに。
この1年で更に子供達との絆が強まっていたことは感じていた。
どんなベテランの先生でも、別れは辛いんだな。
先生につられちゃおうか?実際、私だってギリギリだった。
「北の国から」も、「ビューティフルライフ」も、「僕の生きる道」も、
側に誰かいる時は涙無しで見られるのに、母親になってから、子供の先生
や友達との別れには、人前でも滅法弱くなってしまっていた。
でも、まだ、「門出」じゃないし。
また学校で顔を合わせる先生やお母さんたちだし。
ということで、プレゼントを渡すタイミングを計ることに意識を集中して、
先生の涙に気付かないふりをしていた。
そして、最後の最後、力作のプレゼント、子供と保護者からのメッセージ集
をお渡しした。
先生は、ほんとうにうれしそうだった。
危なかったけど、がんばって、涙を引っ込めていた。
そんな先生の顔を見られて良かった。
これで私の役目も終わった。
素晴らしい出会いに感謝し、新しい出会いを心静かに待つことにしよう。
午前の役選会議、例によってギリギリに家を出た私は、久々の
「マジ走り」。
またしつこく降った雪のせいで足場は悪いし、北風ピューピュー。
でも休むことなく走り続け、ギリギリセーフ。
筋肉痛は、絶対、このときのマジ走りのせいだ。
前もって今日の会議の内容を知っていたのは委員長以外は
私だけだったみたい。
委員長がケーキなどを用意してきたのを見て、「あら?これは?
もしかしたら活動費消化?ってことはおしまい?決まった?」と、
みんな声が上ずっている。
間もなく先生が現れ、「会長決まりました」宣言。
きのう、やっと、ということだった。
最終的には、校長・教頭と3人で説得に当たったそうだ。
そうでなければ、やっぱりだめさ。
まーいろいろあったけど、今年度中に決まって、めでたしでした。
学級代表の集まりである、役選委員。
当然、私のほかにも今日の保護者会に備えて準備がある人がいて、
慌しく解散となった。
打ち上げは、4月の総会で正式に役員を発表してからやるらしい。
ゆうべは、パソコンでの作成に時間かかっちゃったな。
「○○先生ありがとうございました。
××小学校×年×組 児童・学級PTA一同」
これに、きれいなイラストを添えて印刷するだけ。
しかし、この私ときたら、字体・色・イラスト・配置。
すべてに悩み、迷って、パソコンの前で動けないでいた。
おまけに出力する紙も、「お?こっちがキレイじゃん」みたいに
またいろいろ試すし。
万事この調子。ラッピングも、リボンも。
暇人?ていうか。まー、凝り始めるとキリが無いから困る。
最後に、自分から先生へのメッセージに、娘の写真を使おうと
印刷したら、黒のインク切れで、髪も目も白くなってしまった。
写真は印刷済みの手持ちのものを使ったが、その前の作業で
インク切れにならなくてよかった〜。
役選後、家に戻ってからも、まだやることが残っていて、
(きのうの日記に今夜のうちにやるって書いたのに)
昼食もゆっくり食べられなかった。
そして、最後の保護者会。
集まりもまずまずで、最後の先生の話に耳を傾けた。
前年度末、本来なら持ち上がりの学年だったのに、児童数の関係で、
学級減・クラスも解体になることがほぼ確定していて、理不尽な別れに
しんみりウルウルになりがちな保護者会だった。
それが、新年度が始まる直前に転入生があり、奇跡の大逆転で
めでたく、クラスも担任も持ち上がりになった。
今回も、ギリギリまで学級数のことはわからないが、とにかく担任の
先生とはお別れで、クラスも解体。
去年と違って、わかっていたことだし、しんみりしても仕方ないから、
明るくドライに行こうと思っていた。
ほかのお母さんたちも、先生のおやじギャグに付き合いよく笑っていた。
なのに、あれ?先生、たまに言葉に詰まる。
あれ?声が震えてる。
あれ?あれ?目に光るものが・・・。
それはわかるかわからないかの小さな変化だったけど、一番近くに
いた私にはわかってしまった。
ベテランすぎて、担任を持ってるのが不思議なほどのお年。
偉くなってないってことは、「何かあったから」なのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
確かな愛情で、子供達と接してくれた。いつも余裕があった。
お年の上に人相が悪くて、一部の女の子たちに敬遠されてたけど、
そういう子たちさえ、上手にまとめて指導していた。
若い先生が、受け持った子供達や保護者との別れに涙するって
いうのはわかるけど、こんなベテランの先生が・・・。
去年は先生は全然平気そうだったのに。
この1年で更に子供達との絆が強まっていたことは感じていた。
どんなベテランの先生でも、別れは辛いんだな。
先生につられちゃおうか?実際、私だってギリギリだった。
「北の国から」も、「ビューティフルライフ」も、「僕の生きる道」も、
側に誰かいる時は涙無しで見られるのに、母親になってから、子供の先生
や友達との別れには、人前でも滅法弱くなってしまっていた。
でも、まだ、「門出」じゃないし。
また学校で顔を合わせる先生やお母さんたちだし。
ということで、プレゼントを渡すタイミングを計ることに意識を集中して、
先生の涙に気付かないふりをしていた。
そして、最後の最後、力作のプレゼント、子供と保護者からのメッセージ集
をお渡しした。
先生は、ほんとうにうれしそうだった。
危なかったけど、がんばって、涙を引っ込めていた。
そんな先生の顔を見られて良かった。
これで私の役目も終わった。
素晴らしい出会いに感謝し、新しい出会いを心静かに待つことにしよう。
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